早稲田大学人間科学学術院 教授
松居辰則
まつい・たつのり/1964 年生まれ。理学博士。知識情報科学・感性
情報処理の専門家。数値解析や人工知能を得意とする。デジタル・ナレッジと「ラーニング・アナリティクスによる退学予兆検出プロジェクト」(2015 年)を実施した。
なぜ今、関心が高まっているのか?
「みらいの教育」にどのような変化を及ぼすのか?
早稲田大学 松居辰則教授に聞いた。
ラーニング・アナリティクスによる“ 教育改善” はすでに始まっている
「ラーニング・アナリティクス」とは何でしょうか。その目的や本質についてお聞かせください。
ラーニング・アナリティクス(以下LA)の最大の目的は“ 教育改善” です。単なる大規模データの収集・分析や学習者へのフィードバックに留まらず、得られた分析結果を教員や学校運営者、教材作成者がきちんと共有し、授業、そして学校全体の質をより高める活動に役立てていくこと、それこそがLA の本質です。LA をどう活用すべきか、その知見はまだ確立されてはいませんが、教育改善、学校改善への大きな動きはすでに始まっています。
ICT の進展で「学習過程の評価」が実現可能に。
生体データを含めた利活用の時代へ。
なぜ今、教育のビッグデータや LA への関心が高まっているのでしょうか。
LA への関心が高まった背景には3 つの要因が挙げられます。
1 つ目は、コンピュータの性能が非常に良くなったことです。処理速度が速くなり、そしてコンピュータが安く大量に買えるようになりました。
>2 つ目は、大量のデータが取得可能となったことです。インターネットや学習支援システム(LMS)の普及により、人間の知的な行動に対するデータを大量に取得・蓄積できるようになりました。データが大量にあると計算機をより高速に動かす必要がありますから、大規模データが取得可能になったのと計算機の性能が良くなったのはセットと考えてよいでしょう。これらが、いよいよ今の時代揃ってきました。昨今の人工知能技術発展の要因もここにあります。
そして3 つ目、学習過程の評価の重要性が改めて問われている点です。これが、2 つ目の点と関係しますが、学習過程のデータが取得可能になったことで「学習過程の評価」の実現可能性が高まったということです。つまり、「今までできなかったこと」ができる可能性が高まったという意味においてその意義は大きいでしょう。
実はこれまでにも学習に関する分析は盛んに行われてきました。しかしながら、それは、テストの点数など学習結果に対する分析であり、学習過程の分析は困難でした。なぜなら、学習過程を記録する方法が極めて限定的だったからです。
ところが、ここにきてICT の進展により学習過程に関する膨大なデータを取得できるようになりました。たとえばそれは、LMS に蓄積された学習のあらゆる進捗状況であり、授業中に学習者がタブレットで閲覧したページ遷移であり、あるいは学習中の心拍や血圧といった学習者本人が意識していない生体データにまで及びます。こうした様々な形態・粒度を含むデータを取得できるようになったことで、LA を本当の意味で利活用できる環境が整いつつあります。
学習過程に関する分析は「さすがICT を使って新しいことができるようになった」と言える、非常に伸びしろのある、頑張り甲斐のある分野。教育改善や優れた学習環境デザインの実現に向け、各方面から大きな期待が寄せられています。
「技術と人間の共生」の時代へ。
教育全体の変革を促すムーブメントとなるか。
LA によって教育はどのように変わるのでしょうか。そして、教育に携わる人間はどのような心構えを持つべきでしょうか。
近い将来、人工知能が教員の役割のほとんどを担うようになるのではないかと予想されています。こういった話をしますと、では人間の先生はもう必要ないのかと問われます。また、教育にコンピュータは不必要だから締め出すべきだという意見も聞かれます。
私は、「技術と人間の共生」を15 年前から提唱しています。これは教育の世界だけに限らず、世の中全体の動きです。コンピュータのできることが増えていくなか、それと同じことをやっていては人間の存在は滅びてしまいます。人は技術をうまく使いこなさなくてはならない。そして人にしかできないことを真剣に考えなくてはならない。考え続けてできるようになったとき、人はもっと成長するでしょう。そこには、より重要な役割や使命があるのではないでしょうか。
教育現場でいえば、当然ながら人間の先生は必要です。先生方がこれまでの知見を活かして技術をうまく使いこなし、教育者として本当にやりたかったこと、やるべきことに深く取り組むことができれば、自ずと教育全体がさらに豊かで質の良いものになるでしょう。教育の分野で「技術と人間の共生」の中核をなすのは、ラーニング・アナリティクス。このムーブメントが日本の教育全体を変えるひとつのきっかけになればと切に願います。