[番外編] 私がスタジオジブリで学んだこと

By | 2017年7月2日

日本を代表するアニメーションスタジオの一つ、スタジオジブリ ・・・ 『風の谷のナウシカ』制作を経て、1985年『天空の城ラピュタ』制作の際に設立されたスタジオです。『となりのトトロ』『火垂るの墓』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』など数々の名作を世に送り出し、その作品は日本国内だけでなく世界各国で観られ、多くの人に影響を与えています。

そんなジブリではありますが、2014年に制作部門が休止され、制作会社としての役割を終えたように思えます。宮崎さんが再度長編を作るということでジブリでは制作スタッフを新たに募集をしたりしていますが、これまでの勢いはもはやないと言わざるを得ません。今や制作会社というより版権管理会社のようにも見えます。

私は、20年以上前に、かつてスタジオジブリに在籍し、その道を志していたことがあります。

その当時のことをこれまであまり話す機会もありませんでしたが、今回は当ブログの番外編として、その当時のこと、今思うことについて書いてみたいと思います。

(吉田個人のメモのようなもので、eラーニングや教育にはほとんど関係のないことを、あらかじめお断りしておきます)

 

■きっかけ

私が意識的に初めて観たジブリの作品は『となりのトトロ』でした。その前にリアルタイムで『天空の城ラピュタ』あたりを観たかもしれませんが明確な記憶はないので『トトロ』が僕にとっての最初のジブリ作品だと思っていいでしょう。高校の頃に友人からビデオを借りたのがきっかけでした。

昭和30年代という舞台設定、初夏から晩夏への季節の移ろい、自然の描き方、アニミズムのキャラクター化、背景や動画の描き込みの精緻さ、登場人物たちが見せる生き生きとした表情や仕草、日常と非日常の連続性のストーリー・・・ 当時はそれほど言語化はできなかったのですが、これまで観たどの映画とも違う空気感を感じて圧倒されたのです。もうそれは、とんでもなくガツンとやられたのです。

もともとハマると追求する性格なので、作品について、作者について、過去携わった作品などを色々調べ出しました。その中で、宮崎駿、高畑勲という両監督のことを知るようになりました。当時はずっとジブリのことを考えていました。どのくらいのめり込んでいたかというと主要作品に関しては全部のカット割りとセリフを記憶していたぐらいでした。

大学に入り情報工学を学びながら、興味はジブリから映画全般に移っていました。情熱は冷めやらず、むしろ増す一方で、年のうちの半分以上映画館にいて、片時も本を手放さない生活を送っていました。大学四年間で観た映画や読んだ本の数は、かなりのものになると思います。その頃、卒業後は映画方面に進みたいと思っていました。ただ、そのための手段がわからず、ただひたすらにやみくもに突き進んでいたのです。

そんな生活を送っていた大学2年生の冬のある日、スタジオジブリが若手演出家を育成するということで人材募集を行うという記事を読みました。東小金井村塾という名称で、高畑勲監督が塾頭として直接指導し、そのための若手を若干名募集するというものでした。なんというタイミングでしょう。これこそまさに私の求めていたものだ!と矢も盾もたまらず応募しました。応募には履歴書の他に、これまで観た映画の中で好きな作品の感想文の提出を求められたように記憶しています。私は当時熱中していた小津安二郎の映画について書いたように覚えてます。

それからしばらくして、スタジオジブリから書類選考通過と面接の案内が来ました。私は天にも昇るような気持ちでした。そして面接当日、ドキドキしながら東小金井にあるスタジオジブリを初めて訪れました。中央線、東小金井駅を降り、北口を出て、ロータリーから右に曲がり、東京方面に線路沿いに歩くと、やがて畑が広がり、畑の横の道をしばらく歩き、変電所の角を左に曲がると、その建物はありました。畑の中に建つ白い建物、これまでテレビや雑誌などで見た通り、丸や四角のガラスがあちこちにはめ込まれてました。ガラス戸の入り口を入り上のフロアに上がると、ガラス張りの部屋に高畑勲監督と宮崎駿監督、鈴木敏文プロデューサの3名がいました。

考えてみてください。20代前半の若造が、自分の尊敬する人、これまでテレビや雑誌で見たことのある人、それも3人も前にした時の反応を。もう心拍数は上がりバクバクで自分が何を言ってるかわからない状態なわけです。そんな中でさらに追い討ちをかけるように、確か高畑さんだったと思いますが「あなたの書いたこの作文、面白くないですねえ」と言われ、もう泣きたい気分になるわけです。その時どう受け答えしたのか、今は記憶からすっぽり抜け落ちてます。

そういうわけで「こりゃもう落ちたなぁ」と失意の中、雑司が谷の自宅にトボトボ帰ったわけですが、その後、どういうわけか合格通知が来て、晴れてスタジオジブリの東小金井村塾に入ることになったのでした。おそらく相当な狭き門だったと思いますが、どうして私が合格したのか、いまだにわかりません。

 

■東小金井村塾の日々

合格したのは十数名で、メンバーは10代後半〜30代でした。当時22歳だった私は若い部類に入ります。高畑勲監督主催の東小金井村塾は基本的には週に一度開催されました。スタジオジブリの2Fの会議室に篭って高畑さんが一番奥のお誕生日席に座り、我々がそれを取り囲むように座りました。その後「野中くん」とキャラクター化されることになりますが、当時はまだ駆け出し?だった野中晋輔さんが事務局のような役割でずっとついて我々のケアをしてくれました。講義そのものにはシラバスのようなものはあまりなく、高畑さんがその時々の流れで様々な事柄や本や映画の話をなさり、それを我々が聞いたり、ディスカッションしたりするスタイルです。絵コンテやシナリオ、実際の短編アニメの制作の課題もありました。

時々、他の方が参加されることもありました。宮崎さんや鈴木さん、作画の大御所大塚康生さんや、当時『耳をすませば』を監督していたアニメーター近藤喜文さん、高畑さんと組むことが多いアニメータ百瀬義行さんらが講義してくれました。特別授業でジブリのスタッフと共に、ロシアのユーリ・ノルシュテインさんの話を聞いたり、課外授業で当時エヴァンゲリオンの制作に入っていたガイナックスに行き岡田斗司夫さんや庵野秀明監督に話を伺ったりもしました。

またジブリの内部で開催される「キ検」こと「企画検討会議」に参加することもありました。宮崎さんの新作構想が語られ、そこで(今思えば)ポニョやゲドの原型を見ることができました。

当時のジブリはその夏に『耳をすませば』を公開し、次作『もののけ姫』の準備をしていました。そういう制作現場で、制作の流れや現場も体験しました。

近藤喜文さんの仕事ぶりや、背景の男鹿和雄さん、保田道世さんの色彩設計、奥井敦さんの撮影、当時日本テレビから出向で来ていたCGの菅野嘉則さんが印象的でした。

(何人かはすでに鬼籍に入られています。ご冥福をお祈りいたします)

今になって振り返ると、実に得難く、贅沢な体験をさせていただいたなぁと思います。

 

■「意図」

私がジブリでまず驚いたのは高畑さんの圧倒的な知識量と頭脳明晰さでした。何を聞いても明確に答えるし、それも勘や思いつきではなく、ロジカルに積み上げた上での結論をそのロジックを含めて説明してくれました。そしてそのロジカルな思索がもっとも発揮される領域は「意図」でした。作品の中の全てのものは何らかの「意図」に基づいて構成されるべきで、全ての「意図」が説明できなければならないというのが大前提でした。無意識でなんとなくやっていること、自動化されたものは排され、あらゆることに意図を求められました。この一連の徹底した姿勢に、「はじめに言葉ありき」と聖書にありますが、「はじめに意図ありき」というのを感じました。

高畑さんご自身の手がけられた作品をベースに、それぞれの作品の演出意図をお話になったり、実際に作品を見ながら、そのシーンの意図を細かいレベルまで紐解いて説明してくれたことがあります。私はその深さ、配慮の細かさに驚愕しました。

意図というのは大きなものから細かいものまで、そのレベルも様々です。通常「作品の意図」というと、大きなもの、例えば作品全体のテーマや訴えたいこと、あるいはもう一段階掘り下げたシークエンスのつなぎやカット割りなどのカメラワーク、あるいは伏線といったシナリオに作り手の意図を感じることができるでしょう。もちろんそういう大きな意図もありますし、カット割りやカメラワークは演出の基本、意図が大きく反映されます。しかし、高畑さんのおっしゃる「意図」はもっと細かいレベルに行き渡っていたのです。

アニメーションはゼロから描き込んで作り上げます。作り手は全てを設計し一つ一つを落とし込んでいかねばなりません。たとえりんごが落ちる単純なカットでも、もちろん実写同様そのカットが与える印象や意味をまずは考える必要がありますが、加えてそのリンゴがどのような色、形をしていて、どのように落ちるのか、床に当たってどのように弾んだり形状を変えるかなどを全て設計しなければならないのです。したがってアニメーションの演出家は、少なくとも優秀な演出家であれば、その当たり前に思えるものを当たり前として自動化せず、意図を全て明確にした上でその意図を反映する設計や制作を行うのです。

陳腐な自動化から解放され、独自の世界観を作りその世界で違和感なくストーリーを展開するには「意図」が必要なのです。

 

私は絵が描けません。アニメーションというのは最終的には絵を描くことに落とし込まれるわけで、そうなると絵が描けないということは致命傷に思えます。例えば宮崎さんは自身で絵コンテを切るのはもちろん、原画もその気になれば動画も全部一人で作れちゃうぐらいの描き手ですし、実際いくつかの作品で自ら動画まで描くこともありました。そういうアニメーションの演出家は多いでしょう。一方、高畑さんは原画・動画を描くことはありません。描いたとしてもせいぜい絵コンテぐらいで、その絵コンテでさえ、百瀬さんなどの優秀なアニメータが清書することもあります。そういうわけで絵が描けない私は高畑さんの仕事の仕方に関心が高かったのです。自分が学ぶのはコレだと思っていたのです。

そして私なりの答えですが、絵が描けない高畑さんが身につけた技が、この「意図」なんじゃないかと思ってます。全てに意図を張り巡らせ、その意図を周りに説明し圧倒的に納得させ、形にする力 ・・・ 「意図を構成する力」、「意図を言語化する力」、「意図を具現化する力」その3つに長けているのでしょう。

その「意図」を構成する上では自分で考えることが大事ですが、その前に「観察」と「気づき」がまず必要です。日常生活のあらゆるものに興味を持ち、その動きや成り立ちを具に観察しなければなりません。それもただ観察するだけでなく、その要点や意味に気づきを持つことが必要です。この感覚は実写映画の監督とアニメーション監督のそれとでは、視点がやや違うようにも感じます。

この「意図」は、その後の私の人生に少なからず影響を与えています。まず様々な事象に「意図」を考える癖がついていて、その意図をできるだけ言語化して伝えようとしています。私はeラーニングシステムを企画・開発するという仕事をやっていますが、システム開発の世界では宮崎駿さん流といいますか、放っておくと一人でシステム開発できる(企画、設計、開発を自分で行える)のですが、最近は自分でソースを書くことはほとんどなく、周りにそれを伝えて一緒に作り上げるわけです。そうなると高畑勲さん流スタイルといいますか、自分で作るのではなく、周りの人にコアな部分を委ねて作ってもらうことになります。そのため、自分の意図を明確にし、ディテールまで意図を張り巡らせる必要があります。高畑さんのようにうまくは行きませんが、私は高畑さんの演出を真似て、そのように自分のスタイルを確立していったところがあるように、ふりかえると思えてきます。

とは言っても高畑さんの意図はあまりにも高度すぎてよく伝わらないこともあります。高畑さんの意図と世間とが最も大きく乖離しているのが『火垂るの墓』ではないでしょうか。『火垂るの墓』は反戦映画のように思われてますし、しばしば「泣ける映画」とされてますが、作った本人にはそういう意図は全くないようです。高畑さんの意図はというと、映画の中で主人公は全体主義から離れ、個人の世界を作り出したとき、二人だけの生活は死をもって終焉するわけで、それが現代の核家族や個人主義といった自分の殻に閉じこもる世界と相通じる共通のテーマだという意図で作られています。今風にいうと「引きこもり」やニート問題に近いと言えるでしょうか。でもこの映画を見てそう捉える人は少ないでしょう。

 

■経営の視点

スタジオジブリは『天空の城ラピュタ』以降、ヒット作、話題作を立て続けに出しています。正確にいうと、高畑さんの作品はいくつも巨額が投じられ回収できずに赤字を出したり遅延したりしてますが(まあ、高畑さんの仕事の遅さは有名ですが・・・)、それでも小規模スタジオとしてはうまく切り盛りしています。少なくともそのように見えます。

鈴木プロデューサーからこのことについて話を伺ったことがありました。ジブリは3H・・・ High Cost / High Risk / High Returnだと言います。ジブリの制作費はかなり高いのです。期間をかけ、専任のスタッフも雇用し、何事もじっくり進めると、コストはどんどん膨らみます。とりわけ高コストで有名なのは高畑さんの『かぐや姫の物語』で、制作費52億円かかっています。

私は今、会社経営をする立場で、従業員数もジブリとどっこいどっこいですので、この数字がどれほどのものかよくわかります(ありえないコスト!)。それだけコストをかけて数年の歳月をかけて制作し、思いっきり高いリスクを背負って公開に持ち込むわけです。他にキャラクタの版権や放映権、ビデオやDVDの販売もあるでしょうが、王道は映画館での売上です。そこでいかに多くの方に見ていただくか、観客動員数をどれだけ稼ぐかが肝になってきます。コストを数年間に渡りかけにかけて、その後の公開で一気に回収しようというのです。

では一作品ごとに、どれぐらいの売り上げが見込まれるのでしょう。

いわゆる「興収」と呼ばれる「興行収入」は、観客が前売り券・当日券含めてチケットを買ってくれた総額を指します。映画のヒットを宣伝するのにこの「興行収入」はよく使われますね。

興行収入は半分に分けられ、半分は映画館の売り上げになり、残り半分が配給会社の売り上げになります。これを「配給収入」と言います。

そして、配給収入はさらに半分に分けられ、半分が制作会社、つまりこの場合でいうとジブリの売り上げになるわけです。

そうすると、興行収入 × 50% × 50% = 興行収入 × 25%がジブリの取り分です。1800円払って映画を観たとして450円がジブリの売り上げになることになります。

さて、この数字が高いのか低いのか?

例えば先の「かぐや姫の物語」では興行収入が25億円ですから、ジブリの売り上げは6億円ちょっと。かけたコストが52億円ですから・・・ 前代未聞の赤字です。

ただこれは失敗したケースで、概ねジブリの作品は黒字を出していますし、『千と千尋の神隠し』のように興行収入300億円叩き出したオバケ作品もあるので、文字通りハイコスト/ハイリスク/ハイリターンで運用されてます。

ただ特にジブリ設立初期は台所事情が苦しく、『天空の城ラピュタ』、『となりのトトロ』、『火垂るの墓』までは実は赤字、『魔女の宅急便』でようやく黒字化しました。確か宮崎さんがおっしゃってましたが、この時代はなんでもいいからお金を出すというスポンサーはかなりいたそうです。今思えば初期のジブリは世の中がバブル経済だから成り立ったのだろうと思いますし、何より徳間書店の徳間康快さん(設立時にはジブリの社長を兼任)の支援が大きかったのは間違いありません。時の運、人の運にも恵まれていました。今の世でジブリが発足していたら存続できず、やがて解散していたことでしょう。

鈴木プロデューサはこの3Hの特性を、宮崎さんや高畑さんが思い通りの仕事をする環境を実現するという目的のために、研究・実践したように思います。生きるか死ぬかのせめぎ合い、一発の失敗が命取りになりかねません。鈴木さんは売れるために何をすればいいのか、どのようにプロモーションをすればいいのかを考え、二人の監督の世間への見せ方を含めて意図して進め、コツコツと実績と経験を積み上げていったのです。優れた作品を世に出したいという想いだけでなく、コスト、売り上げ、利益について考え、それをプラスに持っていくために行動する・・・ そういう姿を目の当たりにして、すごいなと思ったものです。

鈴木さんは見せ方が上手い人でした。宮崎さんや高畑さんの二人の天才が作り出した作品はそのままだと単に名作どまりですが、何せ3Hを実現するためにはハイリターンが必要なわけで、ヒットしないと成立しないわけです。売れるために何をするか? どのように見せればいいかをよく考え、メディア戦略や販促に落とし込んでいきました。各作品には糸井重里さんのコピーが入るわけですが(例えば『火垂るの墓』のコピーは「4歳と14歳で生きようと思った。」でした)、作品世界をワンフレーズで伝え、見たくなる効果を与えるコピーには並々ならぬこだわりがありました。さらに映画のタイトルにもこだわりがあり、今や有名となったジブリのタイトルの法則、たいていの作品のタイトルに「の」が入るというのも鈴木さんのこだわりです。

 

また、ジブリは企業として従業員への配慮がありました。これは労働組合出身の宮崎さん、高畑さんの思いが強いのでしょう。一般にアニメーターは出来高制で、1枚いくらという世界です。聞いた話だと昔は1枚描くと喫茶店コーヒ1杯分相当だったのが、私がジブリにいた当時で缶コーヒ1本相当にまで落ち込んでいたと言います。今なおこの状態は続いており、アニメーションの仕事は極めて低収入で不安定です。多くの人がフリーランスで、ただでさえ安いのに、さらに次の仕事が決まるまでは無収入だったりします。おまけに激務です。好きなだけではできない仕事で才能の流出が危ぶまれます。それでジブリは正社員として雇用し、社会保障や固定給を支給する生活基盤を提供することで人材の確保と育成を行ってました。新人の採用、育成にも積極的で、志を抱いた優秀な若手を採用していました。

(残念ながら2014年の制作部門の解体で、今となってはこの考えは理想郷だったのだとは思いますが・・・)

 

もう一つ印象的だったのが、女性スタッフへの配慮です。東小金井のジブリ社屋のトイレは男性トイレより女性トイレの方が広く取られていました。女性の働きを評価し、それを活用することでいい作品作りにつなげるという思想がありました。紅の豚での工場で女性たちがテキパキ働くシーンもそれを象徴しているように思います。

 

いいものづくりのためには、スタッフを正規雇用して育成する、そして女性が活躍しやすい場を設け共に働く、そういう考え方が宿っていました。物作りのために人を育成し、よりよい育成ができるように器や制度を作る。それは単に目の前の業務のためだけでなく業界全体の発展を願ってのことだったのでしょう。今の私も学ぶところは多いように思っています。

 

■アニメーション文化、その継承

一方、後継者育成という点ではジブリは失敗したと言わざるを得ません。これには私も少なからず良心の呵責がないわけでもないのですが・・・ 宮崎駿、高畑勲という稀代のスーパープレイヤーの作品を作るスタジオとして発足したスタジオジブリ、彼らの老齢化と共に先細りになるのは必然です。私がジブリにいた20年以上前からそのことは言われていて、ポスト宮崎駿・高畑勲のようなものを求める傾向がありました。我々がジブリに集められたのもそういう思いの一環で、次世代の人材を育てようという意図があってのことだったのでしょう。期待には応えられませんでしたが。

その頃からジブリはもがいていました。TV番組なら多少コケても大丈夫、スロースタートで行こうと思ったかわかりませんが、1993年に望月智充さんが監督を務めた『海がきこえる』が制作されTV放映されました。これを皮切りに米林宏昌さんや宮崎さんの息子さんである宮崎吾朗さんがそれぞれ何作か監督を務めました。ただ彼らが宮崎駿の後継者かと言われると微妙で、吾朗さんは偉大な父を持つ子のジレンマに陥るわけですし、米林さんはジブリを離れ、自らのスタジオ、スタジオポノックを立ち上げています。この夏公開の『メアリと魔女の花』が最初の長編作品となりますが、果たしてジブリの制作スタイルや画風を受け継いだポノックがどれほどの評価を受けるか、それ次第というところでしょう。観客の中にはこれがジブリ作品と思って観に行く人もいるのではないでしょうか。それはそれでアリだと思います。この辺の経緯はこちらの記事『ジブリと宮崎駿の呪い “リストラ”された後継者たちの「その後」』に詳しく載ってます。(いい記事です)

一方、宮崎さんの影響を受けつつも別の流れを作り出してきた庵野秀明さんや押井守さんが日本のアニメーションをジブリとは違う形で牽引していたり、新たな世代ということでいうと『君の名は』で一大センセーションを巻き起こした新海誠さんが、またジブリとは違うアプローチでアニメーションを引き上げています。他にも世界中にジブリの影響を受けた作家はいることでしょう。

結局、ジブリの成し得たこと、見出して高めた価値は、細かく分断され、次の世代の作り手に広く浸透していってるのだなと思うことがあります。正統的な後継者というわけではなく、あまねく引き継がれるという感じでしょうか。

とどのつまり、ジブリは何代にもわたって続く老舗料亭ではなく、シェフの名を冠したヌーベルキュイジーヌのグランメゾンだったのでしょう。シェフの才能が迸り、そこから産み出された料理の奇抜さや技や味に誰もが魅了されますが、シェフがいなくなると、その後継にどんなシェフを持ってきたところで、名は霞んで見えます。そういうわけでそもそもジブリにはポスト宮崎駿、ポスト高畑勲というのは構造上あり得ないとも言えます。ジブリの黄金期は終焉を迎え、その名声は、レシピとして残り受け継がれるものの、器としての名声は、やがて過去のものとなるのでしょうか。

企業においても偉大な創業者が去った後、その会社をどう継続し発展させるかは大きな課題です。アップルのスティーブ・ジョブス、SONYの盛田昭夫、井深大、ホンダの本田宗一郎、パナソニックの松下幸之助、サントリーの鳥井信治郎・・・ 創業したビッグネームが去った後、DNAをどう守り、どう変えて行くのかで明暗は分かれます。ジブリもこれと同じ道、いやそれ以上の大きな岐路に立たされています。

歌舞伎や能の世界では世襲が当たり前で、中には先代を超えることもありますし、そういうことを吾朗さんを持って来たときに思ったのかもしれませんが、どうも思惑は今のところ外れたようにも見えます。いや、内情が見えてないのでわかりませんし、このカードはまだジブリとしては持ち続けるような気もしますが、多分うまくはいかないでしょう。

私がジブリにいた頃はまだセルアニメーション(手書きで書いたトレス線をセルという透明のシートにコピーして、裏から絵の具で色を塗って、画用紙に描いた背景に重ねて撮影する)の全盛期で、少しだけデジタルが実験的に取り入れられていた程度でした。その後、デジタル化が大きく進むわけですが、長年のセルアニメやセルアニメの延長線上としてデジタル化されたアニメーションの制作技法や様式美みたいなものが今後どのように進んで、そして残るのか、興味あります。デジタル化はセルアニメのクオリティを上げたりコストや工期を削減するのに使える一方、その表現力を駆使することでセルにはない複雑な表現ができるようになります。ジョン・ラセターがピクサーで証明して見せたように。(彼も宮崎さんの影響を受けていますね)

果たしてこれから日本のアニメーションのメインストリームの制作技法や表現形式はどのようになっていくのでしょうか。現在、もはやセルは存在せず、少なくとも仕上工程ではデジタルで彩色・撮影相当のことがされています。今は現場にいないのでわかりませんが、作画だってタップの3穴の空いた作画用紙に向かって鉛筆で描くのではなく、デジタル作画も進んでいるのでしょう。

例えば、アメリカのディズニーなどはフル・アニメと言って、昔から1秒間24コマ全ての動画を書くのですが、日本の一般的なアニメはリミテッド・アニメと言って、だいたい3コマずつ、つまり1秒間を8コマぐらいで書きます。これは手塚治虫がTVアニメシリーズ『鉄腕アトム』の制作費・コストを抑えるために採用し、その後の日本のアニメーションのスタンダードになった手法です。ちなみに日本のテレビアニメには止めの絵や、目や口だけが動くカットが多いのですが、これも作画量を軽減するための苦肉の策です。芸術の産業化、そう言えるかもしれません。

このように時代時代に合わせた技法が、世の中の人の嗜好、制作コスト、様々なことから定まってきます。経済合理性に端を発するものだったとしても、それがその時代の美的感覚まで作り上げます。例えば、我々は古いディズニーの映画を見て動きの滑らかさにむしろ違和感を抱き、日本のリミテッド・アニメの動きの方が自然と感じるかもしれません。

ジブリの制作は、セルアニメを極めたものであり、ジブリの黄金期の終焉は、同時にセルアニメベースの文化の成長にも大きく影を落とすような気がしてなりません。ロストテクノロジーというのか、あの培われた技が今後継承されないことにも一抹の寂しさを感じます。それは駅の改札の変遷を彷彿とさせます。硬券の切符に改札でハサミを入れたり出口で駅員が料金を確認して回収していた時代から、磁気による券に置き替わり自動改札機の登場で人間がハサミを入れたり確認することもなくなりました。さらにイオカード(懐かしい)の登場で券売機で買う必要もないプリペイドが訪れ、やがてそれさえSuicaの登場でメカニカルな機構は最低限に抑えられ自動改札のあり方は変わりました。リズミカルに刻むハサミを操る技、券売機を吸い込み適切な処理と加工を加えた上で取りやすい位置にスムーズに吐き出す技術、そういうのは時代の流れとともに衰退するのでしょう。セルアニメについて思う時に、私はこの駅の改札の変化を思い出します。

 

■これから・・・

この後、スタジオジブリはどのような道を歩むのでしょうか。これまでの作品の版権を管理する会社になるのか、これからも才能ある監督の指揮下で優れた作品を作り続けるのか、それともなくなってしまうのか。もう二度とあの輝かしい日々、数年に一度の新作をワクワクしながら待つことも、もう無くなるのでしょうか。

ジブリは新たな道を模索するため、ポスト宮崎駿・高畑勲を探したり、セカンドレーベルを作って実験作を出したり、他社の映画やコマーシャルの制作をしたり、ドワンゴと接近してみたり、色々な試みは試した形跡が見て取れます。それも宮崎さんや高畑さんの理想や志が高すぎて、どれもついてこれなかったように思います。孤高なんです。新たなものを試そうとしても、結局は自らが定めたクオリティや作品のあり方、「ジブリ・クオリティ」のようなもの、その前に萎えてしまうのです。偉大すぎるが故に超えられない壁、巨大化しすぎ重力が大きくなりすぎた末に光さえ飲み込んでしまうブラックホール化してしまう巨大な星の後先を思い出します。自らがあまりにも孤高になりすぎてしまったのではないでしょうか。

老舗が暖簾を守ると言うことは、伝統を守ることと新たなものを取り入れること、このバランス感覚にあるように思います。それを巧みに行なっている好例が、500年の長きにわたって存続する和菓子の「虎屋」でしょう。昔のものを頑なに守るだけでなく、時代時代で変革をしたり絶えず新たな試みを取り入れ、決してあぐらをかかず時代に寄り添っていこうとする姿勢が力になっているように思います。当代当主の黒川光博さんのインタビュー(こちらこちら)は、様々な示唆に富んでいます。

ジブリを離れてもう20年以上も経つ私が、ジブリの行く末について多くを語ることはありません。

ただ、私自身が10代後半から20代前半の多感な時期に、ひたすらに走り続けた世界が終焉を迎えようとしているのはとても残念でなりません。優れた作品を、それも子供のための作品を、作ろうという思いや、それを高いレベルで実現する技術力・精神力が、ジブリとして継承されるのが一番の理想ですが、そうでなかったとしても、あまねく理念や意思が人々の間に広まり、なんらかの形で残ってくれればいいなと思う次第です。

私自身は、今の仕事に就くときに映画の道を諦めようと決心しました。ただでさえ能力が高い上に誰よりも努力している宮崎さん、高畑さんの姿を見て、これはかなわないと痛感したがその理由です。自分がなし得ることができることはなんだろうと思うと、二人を超えられる気が全くしなかったのです。それ以降、つまり、『もののけ姫』以降のジブリ作品は、一作も観ていません。ついでに言うとどんな映画であれ映画館で映画を観ることもやめています。今はもう映画館に行っても大丈夫だと思いますが、映画の魔力に再び魅せられてしまいたくはなかったのです。私にとって映画の道を諦めると言うのはそれだけ大きなことでした。

今ふりかえると、あのとき私がジブリにいて、巨匠たちに学び、色々もがいたことが、今になって私の土台になっているのを感じます。あの時期に真剣に取り組み、多くのことを学び、思索した日々は決して無駄ではなかったと信じています。アニメーション業界からは離れてしまいましたし、期待に応えられなかったものの、今はただ感謝の気持ちで一杯です。

 

まだジブリは存続してますし、宮崎駿監督の長編も控えてます。そこでジブリは刹那的に息を吹き返すことでしょう。

とはいえ、その後のジブリや日本のアニメのあり方を決める大事な時期にさしかかっているのは避けられない事実でしょう。しばらくは動向を、愛と尊敬の眼差しで、見守っていこうと思います。