人工知能が描いた「絵」に絵心はあるか? ピカソと幼稚園児のちがいから考える

By | 2018年8月20日
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皆さんは、どんな絵が好きですか?

ロシアの画家・エルテが大好きな研究員・岡田です。あの絵(正確にはエッチング?)を見ると、心がざわざわします。

 

さて、今日はそんな話題。人工知能(AI)が絵を描いたり、詩を書いたりすることが話題になりましたよね。

ちょっとそれについて考えてみましょう。

※ここで「詩」とは何かとか、「絵」とは何かのような芸術論を展開したいわけではないことだけご注意ください。

 

次の詩をご覧ください。

「昼休み 校舎の裏の林の中で 委員長が お星さまのバカとつぶやいた」

これ、何か意味深ですよね? 委員長に何があったのでしょうか? 日常にありそうな状況でもあり、ちょっとシュールです。

 

実はこれ、人工知能が書いた・・・のではなく、偶然の産物です。実際に、私が中学校時代にクラス内でゲームでやった時にできた「言葉の組合せ」です。クラス全員にカードを配ります。カードは一人4枚もらいます。そのカードには、1~4の番号がふられています。

1のカードには「いつ?」

2のカードには「どこ?」

3のカードには「誰?」

4のカードには「何をした?」

の答えになる内容を書きます。そして、それらを集めて、グループごとにシャッフルします。そして、改めて1~4の順に並べた一つが、先ほどの詩です。

まあ、これを詩と呼ぶのかどうかは置いておきましょう。しかし、ある一定のルールや配置さえクリアすれば、単なる機械的な組み合わせでも意味ある文章が作れるという例にはなります。

ここには、「発言者の意図」「伝えたい状況」というものはありません。ましてや、何らかの「表現したい衝動」のようなものは存在しません。

 

意図が発信されていなくとも、受信者側・観察者側が「意味を感じ取る」ということでしょう。

これは、平田オリザ・石黒浩の両氏が実現したロボット演劇と似ているのかもしれません。

http://beta.engekisengen.com/stage/interview/robot-android-hirata/

ロボットの動きを見ることで、観劇者はそこに「心」を感じる。そのように演出しています。人間は何らかの条件が揃えば、そこに知性や心を感じ取ることができます。

 

むかし、ドラえもんのアニメで、ピカソの抽象画を見たのび太君が「これ、僕が描いたものだ!」と言い張るという話がありました。自分が幼稚園の頃に描いたそっくりの絵をもってタイムマシンでピカソに会いに行ったら、ピカソがその絵を見てインスピレーションを湧かせて真似をした、というストーリー。

※この話は、岡田がかなり以前に見たものなので、多少記憶違いがあるかもしれません。予めご了承ください。

 

ここで重要なのは、のび太は「単なる絵が下手な少年」であり、ピカソは当時絵描きとして身を立てて「新しい作風にチャレンジしていた画家」ということです。この違いがないと、ポイントがズレます。

ドラえもんの中でのピカソは、すでに写実的な画家としては一定の評価を受けていたものの、新しい作風を模索していました。

その状況下、またそれだけの画家としてのセンスがあった状況で、のび太君の下手くそな絵の中に、『キュビズム』の萌芽を見ます。スネ夫君達には「下手くそ」としか評価されていなかったのび太君の絵に、インスピレーションを湧かせることができたピカソのセンスがそれだけ凄かったということでしょう。(念押ししますが、これは『ドラえもん』の話の再構成です。史実ではありませんので、ご注意ください。ここでのピカソは仮想的な人物です。)

 

その証拠に、オリジナルの絵を描いたのび太君は、なぜピカソが自分の絵に感動したのかよく理解していません。

彼は、おそらくは適当に絵を描いただけです。真剣に描いたとしても、下手な絵を描いただけかもしれません。ところが、見る人によっては、それがキュビズムの萌芽として見える。

 

このストーリーを、人工知能が絵を描いたということと重ねてみると、ポイントが分かるかと思います。

人工知能が自我や、そこまで言わなくても「絵心」を持った、ということではありません。様々な絵画を学習させ、アウトプットさせてみた。既存の作風のアレンジ・組合せでしょう。

それを見て、そこに芸術性を感じるかどうかは、むしろ見る側・感じる側に帰せられるものなのではないでしょうか。

 

ここまで考えていて、思い出したのが、人工知能学会の前会長である山田誠二先生(http://www.ymd.nii.ac.jp/lab/seiji/)のお言葉です。

6月29日に行われた丸ノ内AI倶楽部の基調講演では、非常に示唆に富む発言をされておりました。(https://goo.gl/F5JVEK

この報告の中では触れられていませんが、山田先生はジェームス・W・ヤング『アイデアの作り方』(今井茂雄訳・TBSブリタニカ)を紹介しながら、創造性というものは実は既存のものの組合せであるならば、人工知能の方が人間よりも優れた創造性を発揮できるのではないか、という指摘をされました。もちろん、これは「創造性の定義によるならば」という前提での指摘であって、「そうである」と断じているわけではありません。

しかし、これは熟考すべき課題です。

最初の例のように、ただ並べられた文節の組合せに「意味」を感じることができたり、下手な絵(←下手と表現している時点で自分尺度で評価をしている)に新しい作風の萌芽を見出したりすること自体、創造性とは何かを考えるヒントになるでしょう。

 

ここで結論を出したいわけではないのですが、既存の組合せに対して、意味を感じ、感情を揺さぶられ、好んでその絵を眺めたり音楽を楽しむのは、私たちが人間だからなのではないでしょうか。つまり、つくり手ではなく、受け手の問題なのではないでしょうか。

人工知能が創造性を持てるかどうか。作り手もAIで、受け手もAIであるような、AI社会ができた時、初めてその基準が検証できるような気がします。

シンギュラリティや人工知能による創造性に関わる問題。全般的に人工知能技術による「知性」の獲得の問題。人間が持つアニミズム的な想像力に影響されない、思考力が実は人間側に試されているのかも知れませんね。