「紡ぎだす言葉」と「つつけば出る言葉」~京都教育大学附属高校の授業から~

By | 2018年12月20日

哲学者テオドール・アドルノの文章は、非常に難解だということで有名で、その理由を彼は「難解なことは難解な言葉でしか表現できない」という旨で説明したと言う。

は!・・・いきなり柄にもない書き出しをしてしまって、自分で自分にうろたえている研究員・岡田です。

 

言葉って難しいですよね。私は以前は理数系の授業者でした。(文系出身者のくせに。)

言葉のセンスを、言葉で説明する本気の文系の授業ができる先生方に憧れていました。私には無理だな、と。

 

特に、表現のスキルって、伝えたい「内容」が理路整然とするだけで伝わるものではなく、なかなか箇条書きに明示できないものが背景にあると思うんですよね。

大学院で論理学とか数学の哲学を研究していた人間として、「論理的に語らないと人には通じない」という紋切り型の表現はあまり好きではありません。まず論理的って、カントの表現を借りればア・プリオリで分析命題ということで、情報量は一切増えないものです。(つまり、「独身者には妻がいない」という文は論理的に正しいが、馬鹿らしいほど何も言っていない。)

むしろ、根拠をもって「合理的に」語ることの方が大事です。(論理的と合理的のちがいは調べてみてください。)

シンプルに言って、論理的ではないけれど、人が納得する言動っていっぱいしていますよね? 人間の社会って、論理的ではないことでいっぱいです。

 

さて、そんなことを考えさせられた授業を見学できたので、それを報告します。

 

2018年12月6日 京都教育大学附属高等学校での佐古先生の公開授業でした。

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こちらは、京都教育大学の附属の各学校の先生および京都教育大学の先生方が授業見学に来られており、私もAIツール『トレパ』のサービス設計者として招かれました。

授業の構成としては2部構成でした。2コマ連続の授業で、1コマ目は2コマ目のディベートのための準備です。

 

普段、増進堂の英語科検定教科書(http://teachers.zoshindo.co.jp/textbook/)を使用して授業をしているようなのですが、その本文の中で動物実験がテーマの文章が出てくるとのことでした。

生徒さん達は英語の授業でその内容に触れ、また佐古先生から参考資料も渡されて、自分たちなりにこの社会的な問題について考えるようになっていったという背景があります。

そこで、そのまとめとして、ディベートを英語で行い、自ら発信したい事柄を英語で表現することに挑む授業が設定された、という流れです。

その中で、1コマ目の「準備」では、各グループがディベートでより説得力を持つための論点を話し合って決めることと、ディベート中に相手側に対して「反駁」したり「ポイントを確認」したりするための定型的な英文を『トレパ』で練習することに充てられていました。

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つまり、論点を理解し、確認し、反駁するために必要な定型文を、口をつつけば自然に出てくるくらいまでにトレーニングします。

その定型文までたどたどしいと、考えながら話すというディベートというアクティビティ自体に集中できなくなります。頭のリソースをなるべくディベートに割り振りたい。そのために、圧縮できることは事前に圧縮する、という目標だと理解しました。

 

これは、私がよくセミナーで提案する事柄と相似だと思います。

トレーニング

私の提案は、AI(人工知能)という技術の限界点を見据えた上でのものです。指導場面をTeach、Training、Activitiesとに大別したとして、現在のところAIが教育に入り込むのはTrainingの部分であろう、というものです。(Teachについては異論があるかもしれません。ここも自動化できると主張する方もおられるでしょうが、それは別稿で。)

 

譬えて言うなら、裁判というActivitiesで弁護士の口からスラスラと法律や判例が出てくるためには、やはり六法や判例を頭に叩き込むこと(Training)が必要だと思います。あるいは、運動でたとえるなら、バスケットボールの試合と、基礎トレーニングのような関係でしょうか。

TrainingがActivitiesの基礎となり、ActivitiesがTrainingの目的となることによって、充実した力が身につくように思います。

 

もちろん、授業内で「つつけば出てくる」状態にするというのは、「適した状況で、適した英文を発話できる」ということであって、「発音の流麗さ」とは別の事柄です。しかし、発音が流麗になるまでできるようになっていることは、大きな支えになっていると思います。計算で、最初はたどたどしく繰り上がりのひっ算をしていた子が、無意識に「手が勝手に動く」くらいまでトレーニングすることで、頭のリソースを立式や見直しにつながることに似ているように思います。

 

・・・と、ここまで書いておいて何なんですが、面白いことが起こりました。

私が授業見学をさせていただいた中で、注目をしていた生徒が2名おりました。

1名は、トレパで一生懸命トレーニングしていた男子生徒で、トレパでの発音信頼度も非常に高いものでした。

もう1名は、トレパでのトレーニングを軽く流している男子生徒でした。

 

当然ながら、前者の生徒さんはディベートの時も前のめりで意見を言おうとしていました。トレーニングした定型文はもちろんのこと、それ以外に「言葉を紡ぐ場面」でも一生懸命伝えようとしていたのが印象的でした。

一方で、後者の生徒ですが、この子も伝えようという意欲がすごく、闊達な議論がなされていました。ただ、めちゃくちゃブロークンな英語です。(ほとんど、英語としては崩壊していたかと思います。)また、内容もそこまで深いとも思いませんでした。でも、その熱意が伝わってきて、思わず相手チームの生徒も聞き入るんですよね。

私もその場にいて、引き込まれて感心し通しでした。

 

まあ、当たり前ですが、発音の流麗さと伝える意欲というのは、同一視できないですよね。良い実例を見ることができましたw

 

しかし、これも一般論として提示できるかな、と思ったことは、ディベートの最中であっても「事前に構築した英語を“発音”しよう」という傾向は強いな、ということです。間違った英文を言うことにたいする抵抗感でしょうか。(私はとってもその意識が強いです。ですから、英会話は極力しない生活をしています。)

 

・定型文を正確に発音できるようになる

・状況に応じて適した定型文を言える

・伝えたいという意欲をもって言葉を紡いでいく

これらが本来は相まってスピーキング力に結実していくのでしょうが、トレパはまだ最初の項目にしか寄与できていないかもしれません。(もちろん、有益な情報提供であったり、合理的な内容というのは前提の上ですが。)

 

しかし、スピーキング力の要素とは何かを改めて考えさせられる良い機会だったと思います。

私たちのサービスが、スピーキング力を向上させるための、本当に「一」助となれば幸いです。