AIに歩み寄る教育デザインについて~松原仁教授のヒントと森田琢也先生の実践から~

By | 2018年11月12日
勉学の秋。みなさん、何かしら自己研鑽で勉強はされていますか?
こんにちは。秋と言えば「食欲の秋」、「岡田肥ゆる秋」と真っ先に思いうかべる「研究員」岡田です。
私は職務上、さまざまな研究会やセミナーに顔を出して、情報のキャッチアップをしなければなりません。この秋は、非常に面白い勉強会が多くて、週末は大忙しです。
最近、面白かった研究会は『<考える力>とは何か?―思考の教育における哲学系諸学の役割―』(日本学術会議第一部哲学委員会哲学・倫理・宗教教育分科会)です。2018年11月10日東京のテレコムセンターで行なわれました。
実は、一部のメディアで、私の大学院での専門が「教育心理学」だとされていますが、正解は「哲学」です。
※家庭新聞さんの記事(https://www.kyobun.co.jp/news/20181004_02/
この研究会、錚々たるメンバーが集まっておりました。
心理学の立場から批判的思考力を研究されている京都大学の楠見孝教授。楠見先生とは学習のモチベーションについての共同研究をしていたこともあり、お久しぶりにいろいろ話をさせていただきました。
指定討論者には東京大学名誉教授の一ノ瀬正樹先生。学生時代からの憧れです。科学哲学の分野で知らない方はおられないでしょう。一ノ瀬先生は、学会でお見かけすることはありましたが、話をしたことがなかったので、感激しました。
登壇者ではないのですが、私のすぐ隣には見知った顔が。公立はこだて未来大学の美馬のゆり先生がおられました。以前に一緒に仕事をしたことがあり、学習方略について叩き込まれましたw
そして、人工知能研究といえば!公立はこだてみらい大学の松原仁教授。
他の先生たちもすばらしいお話をしてくださったのですが、今回は、松原先生の次のような言葉が胸に刺さりました。
『人工知能の研究は人間とは何かの探求』
そうなんですよね。私は人工知能の研究者ではなく、あくまでもAI関連技術(AIの明確な定義がないので、最近では周辺技術の総体として「AI関連技術」と言うのが通例になりつつある)を利用した教育サービス設計者であり、AI関連技術の特性を理解した上で、その利用方法を提案する立場です。しかし、その立場からでも、この松原先生のお言葉の重みは分ります。まさに、私が対峙している事柄です。
私たちは「トレパ」(https://torepa.jp/)というAIによる「英語4技能対策授業」実現ツールを公開しております。
英文を用意していただければ、エディター機能により、AIを使ってリスニング・スピーキング・ライティングのトレーニングができるというコンセプトです。
このツールを公開してから、利用していただいている先生方から様々なお声を頂戴します。当然ながら、賞賛の声だけではありません。
UIについては、まあ、割愛するとして…根幹であるスピーキングの「精度」についてです。
この「精度」というのが曲者で、この表現の理解について一致していないことが大問題です。
大別すると、次の二つの解釈があります。
(1)「精度が良い」とは、ネイティブの発音に近い発音をした時のみ評価される。且つ、その評価基準が一定である。
(2)「精度が良い」とは、学習者の発音がどのようなものであってもそのレベルに合った評価がなされる。且つ、その評価基準が一定である。
どちらも、後半の部分は同一ですので、前半の部分の差異になっています。
実は、私も「トレパ」に取り組み始めた頃は、(2)が「精度が良い」と思っていたんです。でも、考えれば考えるほど、(2)の立場はある期待と誤解に基づいたものではないか、ということが分かってきました。
ここからが本論です。
先ほど話題にした松原仁先生は、人工知能の明確な定義というものがない理由について、『人工的に知能をつくる』という前提となっている「知能」自体、人間のどの働きをもって「知的」というかということが明確に定義されていないからだ、と説明していました。「知能」が揺らげば、「人工知能」も揺らぐ。至極当然のことです。
ところが、そのような人間の知性や知的営みということを熟考せずに、「人間が行うよりも効率的なことを工学的技術で実現できるようになった」という事実(例えば囲碁でプロ棋士に勝つとか)があった時に、『AIが人間に近づいてきた』という感覚を持つ方が多いように思います。囲碁や将棋などは、人間の知的活動の中でも高度な物だと皆さん思っているので、特にそう思うのでしょう。
《AI関連技術の擬人化》はこのように起こります。しかし、実はこの《擬人化》という作用自体、人間の想像力によって生み出されていると思います。(以前、AIの創造性についてブログを書いています。「人工知能が描いた「絵」に絵心はあるか? ピカソと幼稚園児のちがいから考える」https://www.digital-knowledge.co.jp/blog/archives/3508/
さて、先ほどの(1)(2)で論点になっている「精度」ですが、
(1)は「学習者」が歩み寄らなければならず、
(2)は「評価者」が歩み寄ってくれる、
とイメージするとその違いは分かりやすいと思います。
野球の投球になぞらえましょう。
(1)は厳密なストライクゾーンがあり、ピッチャーはそこにボールを投げないとストライクを取ることはできません。キャッチャーもアンパイアもストライク以外は認めません。
(2)は、ピッチャーがある程度ボール球を投げても、キャッチャーやアンパイアがそのボールを受けてくれます。
(2)は、学習者にとっては負担が少なく済みます。初学者にとっては必要なステップでしょう。一方で、(2)のままに留まっていることは教育目標上、好ましくありません。
(1)は、初学者にとっては非常に厳しいハードルになります。一方で、よく幼少期から英会話教室に通わせている保護者の方が通わせる理由として挙げるものに「耳を鍛えたいから」というものがあります。「ネイティブと交流することで、耳と口を鍛えたい」と。ところが、日本に来ているネイティブスピーカーの方で教育に関わっている方は、大抵はカタカナ英語を話しても受け止めてくれます。私たち日本人が、海外から来た旅行客のカタコトの日本語を受け止めるように。
さて、以上のような議論をしていると、皆さんはこう思ったのではないですか?「いやいや、教師は(1)と(2)をうまく使い分けているんだよ」と。
そうなんですよね。普通、教育ってカリキュラムというものがあり、そこで教育の目的に合わせたカリキュラムデザインがなされます。このカリキュラムデザインが下手だと、一回一回の授業やトレーニングに無理無駄が生じ、学習効果はあまり出ません。一回一回の授業やトレーニングにも、その日の授業展開・教案というものがあり、どのようなことを理解させたいのかという目標へ到達させるための工夫が必要なのです。
人間の先生はそれを自然にこなしています。(新任の先生は意識的にこなしているかもしれませんが。)
「トレパ」の場合、ストライクゾーンが「狭く」て、「厳しい」と言われます。この「厳しさ」には2種類あると思います。
(A)(1)と同じネイティブを基準とした厳しさ
(B)単文はうまく評価してくれるけれども、複数の文章(パラグラフ)のスピーキング評価は厳しい
(A)の場合、よく言われるのが、「人間と同じように(1)(2)を柔軟に使い分ければいい」ということです。
これ、言うは易く行うは難し、なのですよ。
というのが、ストライクゾーンの基準となるデータベースの設計の問題だからです。「トレパ」は現在のところIBMのWatsonのデータベースを利用しています。
これは、現在のところ、ネイティブスピーカーのデータベースとして世界最大級のものだからです。英米圏の方々が日常的に発話している「音」をデータベース化していますから、それが基準になります。言い換えると、英米圏のネイティブスピーカーが日常的に「わかりやすい発音」だと思っているものが基準となっています。(ここで「わかりやすい発音」を強調しているのは、当然ながらネイティブスピーカーでも滑舌の悪い人はいると思われるからである。日本人でもアナウンサーのような発音が理想であるが、訛っている人もいる。しかし、どこからが「わかりやすい」か、どこからが「訛っているか」という問題はさらに難しい問題となるので、ここでは詳細には触れない。)
この問題の解決方法として、「日本人の初学者の音声をAIに学習させればいい」という意見が多く聞かれます。
これ・・・本当にうまく行くのでしょうか? 例えば極端な例ですが、「日本人によるカタカナ英語」データベースができたとします。すると、私が発音した英語は、そのカタカナ英語データベースを基準として評価されます。それこそ、「上手にカタカナ英語が言えたね!」ということが褒められる可能性はないでしょうか? 極端な例では、ネイティブスピーカーの発音は「カタカナ英語としては評価できません!」と低評価になることも考えられます。
ストライクゾーンの設計
再び言いますが、人間の教師であればこのような(1)(2)をうまく調整できるのです。
この調整を行う際の教師のノウハウが明確化され、そのノウハウ自体を自動化できれば問題解決でしょう。そのノウハウ自体、教師社会の中で一定のものとして存在するのかどうか・・・
AIを利用することで、人間の教師のさりげない「すごさ」が良く分かります。
この人間の教師のすごさを解明するまでは、AIは(1)であると認めた上で利用するか、そもそもAI技術を使わずに何らかの特徴的な音声を発すれば受け入れてくれるツールを使うか、どちらかでしょう。
(B)については、どうでしょうか?
これも人間のすごさが分かります。
次の画像の中で示しているように、人間は意味に関係ない発音を「除去して」リスニングしています。ところが、AIは真面目に音を何とかテキスト化しようとするんですね。
パラグラフスピーキング
この現象は、スマートスピーカーを持っている方なら一度や二度は感じたことがあるかもしれません。我が家にAmazon Echoがあります。「アレクサ!」と呼び掛けると動くのですが、普通に妻と会話していると、何の拍子か、動き出すことがあります。こっちは意図してアレクサとは発音していませんが、スマートスピーカーは「アレクサ」と認識してしまうのです。これは精度が悪いわけではありません。たまに人間同士だってそういうことが起こります。
英語学習でいうと、人間が長文を発音する時、大抵は無駄な音を発しています。タレントさんやアナウンサーの方はそういう無駄な音がほとんどありません。しかし、下手な人がプレゼンすると大抵は「あ~」「え~」などの無駄な音が多いことに気づきます。このプレゼンの場面に照らし合わせると、日本人の英語のスピーチになぜ無駄な音が多いかもわかります。
私たちは、母国語で会話していて、特に緊張したり、言い間違いを恐れない場合には、あまり言葉に詰まることもなければ、無駄な音も出しません。例えば、母親に向かって「お腹すいた!」という時に言い淀んだ覚えはありません。ところが、高級レストランでオーダーする時にはちょっと噛んだりすることがあります。また哲学議論の時も。言葉を慎重に選びながら言う場面ですね。
英語が苦手な人が、予め決められた英文を発音するのではなく、自由にその場で言葉を紡ぎながら発音するというのはかなりハードルが高いです。このような場合、無駄な音が多少生じます。
ここから見えてくるのは、そういう無駄な音を除去する人間の知能の素晴らしさと共に、それが除去できないなら、除去しなければならない場面では(現状の)AI技術は使わないという判断が重要だということです。(「無駄」な音というように、無駄と判断している時点で、その発音・発話にとってその音が有意味か無意味かを人間が判断しているということ。AI技術では現状は意味理解が伴わない。)
つまり、「流暢さ」を身につけるためのトレーニングではAI技術は使えるが、しどろもどろでも「伝える意志」を育成する場面では使わない、ということです。
パラグラフスピーキングでは、一気にAIに評価させようとすると、パラグラフの中の一文だけ言い淀んでしまうと、他の英文の評価にも連鎖反応的に悪影響が出ます。(この辺りは文章では説明しにくいので、毎月行っているセミナーで確認してください。https://www.digital-knowledge.co.jp/archives/17380/ また、「トレパ」の新しい機能である「発音v4」や「ペアワーク」を使うとこの問題はある程度クリアされます。)
パラグラフスピーキング2
結論めいたことを言うと、「AI技術を使うべき場面で利用する」リテラシーが求められるということでしょう。
AI技術に教育を丸投げするのは、自分が受けもっているクラスを、誰とも知れない人に授業させるような怖さがあります。初任者研修や教育実習以外では、本当に信頼できる先生にしか授業は任せないはずです。
ここで、一つ、私が感動した「トレパ」を使った授業例を紹介します。大阪府立箕面高校の森田琢也先生の授業です。
2018年10月20日(土)に、大阪府立箕面高校でトレパでの授業実践の研究会をこじんまりと行いました。
そこで森田先生の模擬授業を体験しました。以下のような流れでした。
①同じ曲を演奏しているバイオリンの3つの音源を聞かせる。
②英語で、「どの音源のバイオリンが一番高価なバイオリンであるか」を問う。クイズを使って、クラスのモチベーションを上げる。
③教科書内容が音楽についてであるので、その部分をトレパでリスニング教材化。(この部分は模擬授業では割愛。)
④ペアワークとして、「どんな音楽が好きか?またその理由は?」を英語でスピーキングさせる。(一旦、言葉を紡ぐ練習をさせる。)
⑤ワークシートを使って、④をライティングとして完成させる。
⑥完成した自分だけの英文をトレパ相手にスピーキングして、ちゃんと認識されるかを確認。
⑦上記⑥の結果を、提出。※トレパはスピーキングの音声のダウンロード、評価画面のpdf化ができる。それを他のツールで先生に提出。
ここでトレパを使っているのは③⑥のみ。⑤の際に、『参考程度に』トレパの文法チェックなども使うそうですが・・・
トレパの特性をよく理解して練られた教案だと思います。森田先生の説明で興味深かったのは、以下の点です。
◆トレパはエディターなので、授業に即したリスニング教材がすぐにできること。(アプリなどでは英文をエディットできないものがほとんど。)
◆「この英文を発音しろ」というだけではなくて、どんな英文を発音しても、それが(ネイティブの耳に近い)AIがどのように聞こえたのかが明確に分かる。
◆生徒さん達は、森田先生に向かって発音するよりも、熱心にトレパに向かって発音する。どうも、先生には聞かれたくないが、ちゃんとトレパに判定してもらえる発音はしたいというモチベーションが高まっている。
また、この研究会で次のようなことも話が出てきました。
◆既存の授業を、トレパを使って代替するのではなく、トレパを使った新しい授業活動をするべき
◆プロダクト目線とユーザー目線という区別があるが、トレパのように機能に制約があるものでもプロダクト目線で使うこともアリではないか。マークシート方式もあれは受験生目線ではなく出題者側のプロダクト目線。しかし浸透した。
人間にしかできない授業。AI技術を使って手に入る授業。後者はまだまだ開拓期ではありますが、ちょっとAI技術についての過大な期待を捨てれば、できることはたくさんありそうです。
まず、トレパを体験してみませんか?
11月14日~16日「御茶ノ水ソラシティ」にて、「eラーニングアワード2018フォーラム」が行われますが、そこにデジタル・ナレッジのブースがあります。そちらで「トレパ体験したい!」と言い淀まずに言ってみてください!w
http://www.elearningawards.jp/
森田先生の教材の一部が公開されていますので、是非、ご覧ください。