2つの「アダプティブ」をめぐっての論点整理

By | 2019年2月14日

ハッピーバレンタイン!

朝から妻にブタちゃんチョコレートを貰って、びみょ~な感情で一日を過ごすことになった研究員・岡田です。

喜んで食べればいいのか、自らを客観視する覚悟で食べればいいのか、、、それとも懺悔の念をもって「食べない」という選択をすべきなのか・・・

みなさん、効率的な正月太り解消法があったら是非教えてください!

 

さて、今日は短く、結論もないのですが、頭の整理に一つ書いてみます。テーマは「アダプティブ」。

 

実は、弊社COOの吉田が以前書いていた記事(https://www.digital-knowledge.co.jp/blog/archives/2738/)を最近になって読みました(ヲイ)。何故か、この記事は見逃していたんですよね~

ま、一人の社員が社内のすべての活動に目を通すということがいかに難しいか、ということはまず伝わったことかと思います。

 

大変興味深い記事なので、是非詳細は読んでいただきたいと思います。今日の論点に関わることだけピックアップします。

ズバリ、

アダプティブ学習によって、学習時間は「増える」「減る」問題!

 

興味深いのは、先ほどの記事でClassiさんがKnewtonさんのアダプティブエンジンを使って実証したところ、「学習者の学習時間が増えた」という結果が出た、というくだりです。

一般的に、学習がアダプティブになると学習の無理・無駄がなくなるので学習時間が「減る」という決まり文句が多いのです。

 

ここに、一つの混同があるのではないか、というのが今回の論点です。

 

アダプティブには「評価・テストのアダプティブ」と「学習のアダプティブ」があると思いますが、これが混同されているのではないかな、と思うのです。

 

高大接続改革会議が発足した頃、大学入試改革の文脈の中で、おそらくはCAT(Computer Adapted Testing)を示唆するような表現がありました。そこではCBT(Computer Based Testing)とIRT(項目反応理論)を組合わせることで「テスト時間の時間短縮」を目指すとありました。※現在ではこの論点は消えています。

 

(1)評価・テストのアダプティブ

テストの目的は、能力の評価です。つまり、視力で言うなら、「0.8」ということが分かればその目的は達成されます。

ランドルト

誰しもか経験があると思いますが、視力検査の時には、出題者は中くらいの難度のランドルト環を見せます。例えば0.6のランドルト環です。この0.6が見えなかったりすると、0.5とか0.4のランドルト環を見せるのです。そうやって、能力値(視力)を収束的に測っていきます。この時、0.6が全く見えない被験者に2.0のものを見せることはまずありません。つまり、被験者の視力に合わせたテストが普通は行われます。

しかし、一般的な学力検査はペーパーテストであり、その場合には、どのレベルの受験者も同一のテストを受けることになります。

つまり、上の視力検査表でいうと、0.1~2.0の難度の問題がすべて出題されます。カンタンな問題であろうと難しい問題であろうと同じ配点なら、カンタンな問題から解いていくしかないのです。

視力検査であれば、例えば0.8の視力の人に対して、0.1のランドルト環で検査をし続けることは意味がありません。でも、テストの場合、大抵は、0.1の難度の問題や0.3の難度の問題もクリアしていかなければなりません。合計点が計測の基準となるからです。
しかし、視力が0.7なのか0.8なのかを正確に計測したければ、その辺りの難度の問題を手厚く出題して、受験生の反応を観察するべきだと思います。特に検査の時間が限られているのであれば。
同時に、出題の難度の幅が狭くなるのであれば、出題数も少なく済むことにもつながり、「時間短縮」も達成されやすくなります。
このような「評価・テストのアダプティブ」がもたらすメリットが、そのまま「学習」にも通用するのでしょうか?
(2)学習のアダプティブ
学習の場合には、上記のような単純な話になりません。というのが、学習の「目的」「目標」が学校・クラス・個人・教師によってさまざまだからです。
たとえば、「目の前の特定の問題を解くことができるようになる」ことがとりあえずの学習目標 だとします。この場合、この問題が解けるならOK。解けないなら、更なる学習が必要になってきます。その場合、心理的状況などを除外すれば、教師はだいたい以下の二つの方法をとると思います。
「難度を下げる」
「前の単元に戻る」
という2つです。後者はカリキュラムデザインに拠ります。
前者は、類題で手順が簡単なものをいくつか解かせることで、トレーニングし、手順が複雑だったり細かい注意が必要だったりする高度な類題を解けるようにします。この場合には、学習者個人の呑み込みの早さなどが影響しますが、一定のトレーニングの時間が必要になります。
類題の中でもかなり簡単な問題でさえ解けないのであれば、その理解不足の「根」に帰らなければなりません。その場合、前の単元に戻るという選択もでてきます。
今まで、理解不足の単元を多く残している生徒は、このシステムを真面目にすると、当然ながら学習時間は延びていきます。
逆にどんどん出来ていく生徒や以前の関連単元をしっかり理解している生徒にとっては、無駄な問題(難度が不適切な問題)はカットされるので時短となるでしょう。
・・・と書いていながら、もやもやが残ります。そもそも、時間が増えた・減ったという時に基準となっている「標準学習時間」というのは何が根拠になっているのでしょうか?自己申告?
むしろ、この基準は「一斉授業をするとしたら」想定される時間のことではないでしょうか。つまり、時短が達成されるとすると、集団学習による一斉授業の在り方(受講生によって「無理」「無駄」が多い)ということが解消されるということが大きな要因なのではないか、と個人的には思います。つまり、時短と言う時の比較が「一斉授業vs個別最適化」ということであり、「適切な自己調整学習vs個別最適化」ではないのではないか、という疑問がつきまとうのです。

 

もう一つ、学習の目的というものがあります。「定期テスト対策」ということであれば、「どこまででも難しい問題を解く」ことは要求されません。でも、「受験勉強」ならばそれが求められます。つまり、個別最適化された学習のゴールがどこに設定されるかで、学習者の行動は変わっていくはずです。

 

冒頭に参照した吉田の記事にも、「学習者の主体性」について書かれています。

 

まだまだアダプティブ教材について結論を出すには社会の中での実践例が少ないかと思います。今後、さらに利用が増え、教育提供者が求める学習目標をうまく反映できるシステムや教材づくりのノウハウがどんどん増えていくでしょう。その時に、またこのテーマで筆をとりたいと思います。

 

デジタル・ナレッジでは、このようなアダプティブ・システムについていつでも相談に応じます!