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オンラインCBT・・・在宅・リモートでの試験実施

先月の話になりますが、前回のblogで紹介した通り、5月20日〜22日の三日間、デジタル・ナレッジ・オンラインカンファレンス『在宅学習/テレワーク時代に進める新しい学び』を開催しました。

なにぶん初めての取り組みで手探りの中スタートしましたが、大勢の方にお越しいただきありがとうございました。私も3日間ともに冒頭の挨拶に立たせていただきました。

得たものも大きかったのですが、ただ反省点が多かったのも事実で、まだまだリアルの展示会のレベルに至っていないなと感じました。特に大きかったのはその場でしか得られない体験をしていただいたり、せっかく時間を割いて参加いただいた皆様が参加している感覚をあまり感じられなかった点で、オンデマンドで開催するのと決定的な違いを演出できなかったことは猛省しております。

次週の別のオンラインセミナーで軌道修正し、やや改善できたようにも思いますが、この課題を含めたオンライン・カンファレンスの運営ノウハウを身に付け、今後に活かしたいと思います。

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学びを止めない!

このblogを更新するのは実に久しぶりです。ご無沙汰しております、デジタル・ナレッジのヒゲこと吉田です。

いま世界中を覆う新型コロナ禍の影響で、学校をはじめとする様々な学びが停止もしくは縮小する事態となっております。ご承知の通り、その影響の大きさは程度の差こそあれ世界規模で起きている未曾有の事態で、日本でも学校の休校に伴い多くの子供達が自宅で過ごしており、充分な学びが行えていない懸念が広がっております。

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VRの教育的効果をあらためて考える〜バーチャルの意味と意義〜

こんにちは。しばらく外出ができず、オンラインの動画配信サイトで海外ドラマばかり観ている研究員・岡田です。

みなさんも、自宅で過ごす時間が多いと思いますが、そういう時こそオンラインのコンテンツがありがたく感じますよね。

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私は研究員として開発業務や調査業務をしているので、会議以外ではリモートワークをこれまでも続けてきました。一方で、リモートワークがなかなかフィットしない業種もあると思います。

ところが、どの業種でも自宅でできることがあると思います。それは「学び」です。

 

集合型研修や勉強会は相次いで中止・延期がなされている中、オンラインでの研修・セミナーの実施が増えてきています。もちろん、いくつかの点で対面型の研修・セミナーにはおよばないところもありますが、この機会にさまざまなオンラインでの学びを考えてみてはいかがでしょうか。

 

eラーニング、MOOC(大規模オンライン公開講座)、YouTubeなどの動画サイトで好きなものを選んで学ぶのも良いでしょう。

私が制作に関わったMOOCが再開講になることもあるので、gaccoもチェックしてみてください。(https://gacco.org)

 

 

■体験を中核とする学び

「教育のノーベル賞」とも言われる『グローバル・ティーチャー賞』というものがあるのをご存知でしょうか? イギリスのバーキー財団が実施しているもので、日本でも教育界では話題になりました。

2019年の世界大会のファイナリスト・トップ10にアジア人で唯一選出された正頭英和先生(立命館小学校)の『世界トップティーチャーが教える 子どもの未来が変わる英語の教科書』では、これからの学習に必要なのは知識も重要なのですが、何より「体験」ということが強調されています。(https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000339070)

 

正頭先生の論については、上記の著作を読んでいただくとして、私は初等中等教育以外の「人材育成」という広い文脈で捉え直したいと思います。

 

人には、それぞれ個人的な感性というものがあります。同じ風景を見ても、そこで何に気づくのか、何に感動するのか、どのような感情を持つのか、ということは個人差があります。

これは単なる「習熟度」とは異なります。感じ方などの多様性は、チームで働く時代には不可欠になります。なぜなら、同じような感性の人間は複数必要ないからです。

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さて、そのような多様性の時代には、教育も体験という個々人がそれぞれの感性・個人史の中で培ってきたものが活かされることが必要になってくるでしょう。知識の蓄積という教育観からの脱却です。

 

■OJTがなぜうまくいかないのか?

このような「体験」の学びは、これまでOJT(On the Job Training)という形で企業内では行われてきました。先輩や上司とともに行動し、その中で暗黙知も含めた様々な学びを積み上げ、そこから自らの行動原理や行動指針を身につけていく・・・そんな学びが多かったのです。

もちろん、このような方法が有効な場合が多くあったからこそ、OJTは価値がありました。

 

確かに、座学などの研修では、知識事項やマニュアル的な事柄は理解できます。しかし、実際の人間関係の「間合い」とか、なかなか知識事項としてマニュアル化しにくい事柄についてはやはり「経験を通じて学ぶ」ことが求められていたのです。

 

ところが、やはり完璧なダイエットが世の中に存在しないように(存在していたら、こんなに毎年流行りのダイエット方法が世に出てくるはずがない)、完璧な人材育成法というものもありません。

 

まず、従来型の体験による学習という人材育成法の限界については、以下の2つのポイントがあります。

  •  同行する先輩・上司の不在

  • 体験の回数の限界

 

まず、重要なのは、何でもかんでも体験させれば人が成長するわけではない、ということです。体験し、そこで感じたことに意識を集中させて、何に気付き、以後どのような行動をとるかをシミュレーションするように先輩・上司がフィードバックすることが必要になります。

しかし、そのような先輩・上司がいつも見守っていて、適宜、適切なフィードバックができる状況を構築している組織はどれほどあるでしょうか?

 

また、「回数」の問題もあります。

例えば「クレーム処理」に対する体験の回数を考えてみましょう。クレーム処理は高度な対人関係能力や交渉能力が必要ですが、それらを養うためには経験値が必要だと言われています。しかし、クレームというものは起こって欲しい時に起こるとは限りません。専門的な部署に配属されることがない限り、いつ起こるか分からないクレームをOJTのネタにすることはできません。つまり、機会の「再現性」がない体験は偶然に拠るしかなく、人材育成として計画的に組み込めないのです。

 

 

■ある高校生の発言から考える

ある高校生が有志で農家支援活動に参加した時のことです。ある一人の高校生が言いました。

 

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「あのおじいさん、まだ40回しか米作りをしたことがないんだって。」

 

この発言、みなさんは不遜だと思うでしょうか? 実はこの発言には多くの事柄が含まれています。

いわゆる生まれた時からゲームなども含めて、再現性のあるシミュレーションをしてきた世代の高校生からすると、40回というのはゲームであれば1日で戦う敵の数にしかなりません。つまり、彼らからするとプログラミング教育などで何度もコードを書き直し、シミュレーションすることに比べると、40回の体験というのは「回数」としては少ないものに感じられますね。もちろん、回数がすなわち「質」の担保にはならないので注意は必要ですが。しかし、精緻な農業シミュレーターが生み出されたら、もしかしたら人類が持つ経験値ははるかに向上する可能性があります。

 

それでも、「いや、そんなシミュレーターなんて役に立たないよ」と否定する方もおられるかもしれません。でも、そういう人でも「書物」「本」「教科書」の有効性は否定しないと思います。

人類がこれほどの文明を築いた背景には、口頭伝承を越えて、文字による知識伝授が行われたことがあります。そうやって、昔の人が試行錯誤して得たものを文字として残したからこそ、時代や地理的な距離を越えて、後世の人々は(擬似的ではあるかもしれませんが)体験の再現の機会を得ることになったのです。それが今では技術の発達でより簡単に、より迅速に体験の再現がなされるようになりました。

 

 

■「バーチャル」の意味を考える

ここまできて、「ああ、なるほど。岡田はバーチャル・リアリティ、つまり仮想現実を『擬似的な体験』として捉えているのだな」と思った方がおられるでしょう。

 

半分が正解で、半分は「う〜ん。。」です。

 

もし、貴方が本来の意味でのVirtualの意味を知っていたら、大正解です。

 

もともと、バーチャルの訳語として「仮想」という言葉が使われるのは、本来のバーチャル・リアリティの真意を誤解しやすくなるので注意が必要です。本来、バーチャルとは「実質的」という意味です。

 

例として「夢」を考えてみましょう。

 

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みなさんは、悪夢を見て、慌てて起きた後、心臓がバクバクしている・・・という経験はありませんか? 私はあります。先日も、隣で寝ていた妻が「キャ〜!」と言って飛び起きました。夢で目の前に虫が現れたとのことでした。

 

さて、その虫はリアルな虫ですか? ちがいます。現実には存在しません。しかし、妻は驚いて起きた。つまりその時の妻の感覚(恐怖・驚きetc.)は実質的な「質」を持つのです。

 

このように、受け手に何らかの心理的な作用を及ぼすことが求められているのがバーチャルです。

 

実際、私は数年前にVR ZONE(当時は新宿にしかなかった)に行って、スキーで谷底に落ちるバーチャル体験をしました。(谷底に落ちるゲームではなく、スキーをするゲームですが・・・)

二度落ちたのですが、その時、頭では「これはゲームだ」と分かっているのですが死の恐怖を感じました。

 

デジタル・ナレッジでも、数年前に教育ICT展にて、カフェでのクレームをVRで体験できるコンテンツを出展して大盛況になりました。

これは視点(主人公と呼ぶ)を「初めてアルバイトをする高校生」と設定し、カフェで「ホットドッグセット」を頼んだはずのお客が手元に来ているのが「サンドイッチセット」であることに腹を立てて、立っているウェイター・ウェイトレスにクレームを言いにくる、というコンテンツでした。

 

https://youtu.be/1jK08jHAtv4

 

CGではなく、180°の3Dカメラで撮影した実写動画だったのですが、クレーマーが近づいてくる感じと、手に持ったサンドイッチを主人公の顔まで近づけてくる感じがリアルだとして、体験に長蛇の列ができました。

「こんなに叱られたのは久しぶりだ・・・」などと、涙目になっている人もたくさんいました。また、思わず後退りする人も何人かいました。

 

バーチャル・リアリティの特徴を「没入感」と表現することがありますが、この表現も、「実質的な感覚」ということと結び付けて考えれば理解しやすいかと思います。ただこれはVR

でなくても、よくできたテレビドラマや映画でも起こります。まさに「手に汗握る」ドラマ展開には私たちは文字通りドキドキします。これがバーチャルです。

 

■VRコンテンツは「自ら発見するコンテンツ」になる

今や、課題解決能力よりも課題発見能力が求められる時代です。

前出の正頭先生もおっしゃっているのですが、このインターネット全盛の時代では、成功例やレシピといったものはどんどん共有されていきます。つまり、何らかの課題(問題点)があったとして、その解決については「調べることができる」「人に相談することができる」という点で、「自分にしかできない仕事」ではなくなっていきます。

 

ところが、課題を「発見」する能力というのはまさに「自分にしかできない仕事」になります。教育現場や研修現場では

(A)「この資料を見てください。ここには〜〜ということが表されていますね」

ではなく、

(B)「この資料を見てください。ここから、みなさんなら何を見つけることができますか?」

といった、常に「自ら発見する」機会を提供していくことになるでしょう。

 

そこで教育用メディアも変革が迫られると思っています。

 

従来、人類の長い歴史の中では書籍がメディアでした。文字ですね。それが紙芝居的に絵や図などをタイムライン上で動かすことが出てきました。また映像・音楽がメディアの主流になってきました。これらの良さの一つには、メディアのデータをデジタルにすることで、配信管理や受講者管理システムと組み合わせることで、eラーニングが可能になったということです。

 

情報量が多いと言う意味でのリッチなメディアが教材の主流になるだけではなく、学習履歴やヒートマップ取得のようなデータ分析とも連携することで、学習の個別最適化が望まれます。

 

ただ、課題もありました。

例えば普通スライドは「一目で」見渡せるように作成されるのが常です。視点誘導の観点から、視聴者の視点を一点に集中させるというのが集団授業・研修・テレビ番組では求められていたからです。つまり、視聴者の視点を誘導するわけですから、視聴者(=学習者)は自然と受け身になります。

 

そのようなフレーム(一目で認識できる大きさの枠のことをここでは意味します)を見せて、先述の(B)にあたる「この絵を見て気づいたことがありますか?」という質問を投げかけることは重要なのですが、既にフレームに「集中させている」状態、言い換えれば視聴者・受講者が既にそちらに意識を向けている状態から、細部を「探す」という行為になってしまいます。これでは「自発的な発見・気付き」とは程遠いものになります。

 

喩えて言うなら、恋人に「ねえ、今日の私、何かちがうと思わない?」と言われてから違いを探すようなものです。これに答えられたとしても、100点の回答かどうか。

会った瞬間に、「あれ?髪型変えた?似合っているね」の方の発見力を身につけたいですね。

 

そこでメディアには「フレームレス」という発想が必要になってきます。本来私たちが活きている世界はフレームレスです。フレームというのは視野に合わせて人為的に構築されたものがほとんどです。

 

だからこそ、空間丸ごと切り取って記録できるVR(360度画像)が求められてくるのです。

 

図1

※RICOH THETAで撮影した360度画像。専用のアプリケーションやSNS上では球体の画像として処理される。

 

つまり、「その場にいる」状態に近づけてくれるメディアがVRなのです。

 

この状態になれば、この教材を提供する側の視点誘導は極めて弱くなります。すなわち、「受講者の視点の任意性が高まる」のです。自分の見たいところが見れる、という状態ですね。

そうなれば、発見する、気づくということがその人の資質に大きく影響されることになります。

 

初等中等教育の修学旅行で言うなら、姫路城に行って、どこを観察してくるかは生徒によります。畳を観察してくる子もいれば、屋根瓦に興味を持つ人もいるでしょう。

 

それこそが「自ら発見する」ということを保障するのです。

 

 

■今後の教育VRコンテンツの方向性

今後、OJTの代替としてVRコンテンツによるシミュレーション研修は増えていくと思います。ただし、発見力の向上だけではなく、やはりそれも含めた「体験シミュレーション」としての価値がもっと高まっていくでしょう。

 

その点で手前味噌ながら、弊社が取り組んだ例をベストプラクティスとして紹介します。

 

https://www.digital-knowledge.co.jp/archives/20356/

 

詳細はインタビュー記事があるのでご一読いただきたいのですが、VRコンテンツ+IoTデバイス+AIによる音声認識を組み合わせて、学習履歴を残すという、「最新技術てんこ盛り」の例です。

 

調理はいくらマニュアル化したとしても、やはり品質を一定に保つためにはそれなりの練習が必要です。

問題は、通常ゲームであれば失敗してもキッチンは汚れることはありませんし、材料も無駄にすることはありません。しかし料理はリアルに実施すると上記のような課題が出てきます。

また調理のトレーニングをするためには「場所」が固定されてしまいます。

客足がまばらになった時に、研修のための調理トレーニングをして、あとはずっと先輩が見ている中で実際の注文に対して実践演習を繰り返す、というのが普通です。でもそれだと、研修も時間帯が固定されたり、注文が偏った場合には満遍なく調理を覚えるということが困難だったりします。

 

でも、VRトレーニングであればそれが解消します。もちろん、まだまだ実際の調理という「実質」には敵いませんが、それでも紙のレシピを見たり、動画を見るよりも「やってみる」という体験をもとにした学習の方が学習効果は高くなります。

 

■最後に

VRの良さは使ってみないと分からない部分もあるかと思います。

 

身の回りにある、物件閲覧VRやGoogleMapなどを使ってみるのはいかがでしょうか?

 

こんなご時世です。外出は控えなければいけません。

私は海外ドラマ(『ホワイトカラー』『キャッスル』『ゴシップ・ガール』など)で出てきたシーンから、ニューヨークの都市部のロケ地を探すということで、GoogleMap上でハートマークがたくさんつきましたw

 

勝手にニューヨーク探索しています。皆さんも、まずVRの入り口として試してみてはいかがですか?

 

 

アクティブラーニングとは?ポイントを押さえて授業の改善に取り組もう!

こんにちは。研究員の岡田です。

以前も告知していましたが、2019年に日本アクティブ・ラーニング学会の理事に就任し、その活動の中で改めてアクティブ・ラーニングについて考える機会をいただきました。学校現場での研修会に参加させていただくと、まだまだ誤解されている部分もあるな、というのが正直な感想です。

紙幅の関係上、学術的な歴史や概念について深入りするつもりはないですが、日々の授業実践の中で何がポイントなのかを(今更ながら)整理する機会としたいと思います。

 

今、政府・文部科学省が推進している「GIGAスクール構想」(https://www.mext.go.jp/a_menu/other/index_00001.htm)とも合わせて整理したいと思います。というのも、アクティブ・ラーニングと教育ICTは親和性が高いからです。

 

特に、文部科学省がひとり一台タブレットを推進する目的の一つに掲げている「個別最適化」と「アクティブ・ラーニング」との関係については、あまり論じられていないと思います。

 
▪️アクティブ・ラーニングの定義
さて、そもそも「アクティブ・ラーニング」とはどんなものなのでしょうか?

かなり以前のものですが、文部科学省の資料から一部を抜粋しましょう。

参考:https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/004/siryo/__icsFiles/afieldfile/2015/09/04/1361407_2_4.pdf

 

「アクティブ・ラーニングとは、学生にある物事を行わせ、行っている物事について考えさせること」

とあります。

その一般的な特徴としては、以下の事柄が掲げられています。

 

(アクティブ・ラーニングの一般的特徴として挙げられる点)

(a) 学生は、授業を聴く以上の関わりをしていること

(b) 情報の伝達より学生のスキルの育成に重きが置かれていること

(c) 学生は高次の思考(分析、総合、評価)に関わっていること

(d) 学生は活動(例:読む、議論する、書く)に関与していること

(e) 学生が自分自身の態度や価値観を探究することに重きが置かれていること

(f) 認知プロセスの外化を伴うこと

 

この資料が発表された当時、教員の中ではこれらをどのように受け止めて良いのか戸惑った方々が多くおられました。私も当時は教壇に立つ身として、同僚たちが戸惑っていたことを覚えています。

 

なぜ、戸惑っていたのでしょうか?

 

一言で言うと「教育観の違い」だと思います。

 

あるいは「知識についての観点の違い」と言うべきかもしれません。

 

この詳細は後述しますが、この見解の相違(価値観の相違)が浮き彫りになったというだけでも、文部科学省によるアクティブ・ラーニングの推進には一定の成果があったと(今では)言うことができるでしょう。しかし、当時は肯定派と否定派がお互いに議論が噛み合わず戸惑いを覚えていました。

 

上で紹介した文部科学省の資料を眺めてみても、教育学部で教えられるようなブルームのタキソノミーやラーニング・ピラミッドの話を整理しているだけでした。しかし、教育学の教育を専門に受けた人なら、これらの資料から、どのような教育パラダイムを持つべきかということは割と自然に理解できます。一方、教員の全てがそのような専門教育を大学で受けているわけではありません。

アクティブ・ラーニングという「手法」を問うことで、教育現場に潜んでいた教育観のバラつきが表面化し、その上で「教師からの知識伝授」という教師主体の授業から、「学習者による知識獲得」の学習へのパラダイムシフトを意図していることが明確になっていったのです。

 

その後、文部科学省は公式文書から「アクティブ・ラーニング」という表現を出さなくなりました。理由は、この表現に対しての解釈が多様にあり得たので、更に混乱が生じたからだと思われます。例えば、ディスカッションやPBL(プロジェクト・ベースド・ラーニング)などの手法の「どれが」アクティブ・ラーニングなのか・・・などの線引きが議論されました。かわりに今でも使われているのが「主体的で対話的で深い学び」という表現です。この頃から、アクティブ・ラーニングの推進の意図が、教育パラダイムの違いを認識し、パラダイムシフトを教育現場に迫ることだということあることが浸透していきます。

※このブログでは、混乱を避けるため、一貫して「アクティブ・ラーニング」という表現を使います。

 

ここで一旦骨子を整理しましょう。

 

アクティブ・ラーニングと対置されていた「知識伝授」型授業の特徴は、

(1)教育は知識を伝えることである

(2)教育活動は教員主導である

(3)教育スタイルは、主に一斉講義となる

(4)教師の役目は「知識を正確に伝えること」

(5)学習者の役目は「知識を正確に再現できるようになること」(暗記すること)

(6)評価は主に教員が行うため、客観テストが多用される

(7)知識は、揺らぐものではなく確定的。その獲得方法は不問

 

それに対して、アクティブ・ラーニングは

(1‘)学習は知識を獲得することである

(2‘)学習活動は学習者主導である

(3‘)学習スタイルは、協働的である

(4‘)教師の役目は「知識構成を促すこと」

(5‘)学習者の役目は「知識獲得のための活動を行うこと」

(6‘)自らの活動・認知プロセスに対しての自己評価も含める

(7‘)知識は、獲得内容や獲得方法が重視される。途中で改訂されることがありうる。

という観点のもとで行われます。

 

 

▪️なぜアクティブ・ラーニングが注目されているのか?背景を知ろう
上記のように整理すると、何か「対極的な教育方法」が出てきたように思われますが、それは半分が正解で半分は異なります。

実際、従来の教育を受けてきた人たちもアクティブに学んでいた人はいますし、そもそもそういう人たちが育ってきていないのであれば、アクティブ・ラーニングの良さを「実感」した人がいないはずです。つまり、大多数ではないかもしれませんが、先生方は学習者に対してアクティブ・ラーニングを促す授業をしていなかったわけではないのです。

 

では、なぜ、改めて「今」アクティブ・ラーニングが注目されているのでしょうか。

 

大きく言って理由は2つあります。

  • 産業の変化によって「求められる人材像」が変化したから。
  • 学習の科学研究から人の「認知プロセス」が明らかになってきたから。

 

それぞれについて見ていきましょう。

 

(1)産業の変化によって「求められる人材像」が変化した

個人的な思い出ですが、関西人である私は、幼い頃、阪神タイガース・阪急ブレーブス・南海ホークスが好きでした。(これで大体の年齢がバレる)

これらの球団に共通しているのは、「電鉄会社」がオーナー企業であるということでした。

ところが、阪急はORIXに、南海はダイエー→ソフトバンクへとオーナー企業が変わっていきます。

それだけ時代の趨勢が変わってきたということでしょう。私が教壇に立っていた頃、このような例を上げながら、第一次産業・第二次産業・第三次産業の違いと、日本社会がどのように変遷していったのかを話していました。

私が生まれてから現代まででも、産業の構図は変わってきています。

 

求められる人材が工業的人材であれば、統一的な知識・技能を持ち、勤勉でミスが少ない人材を育成することが教育の目的となるでしょう。マニュアルを適切に読み解き、その通りに再現をする人材が求められ、その人材を管理する一部の人間と、マニュアルを開発できる一部の人間がいるとそれで完結します。

このような社会の場合、学習内容も一律です。習熟度が話題にされ、手際良く知識・技能が再現することが優秀であるとされます。

 

ところが、情報化社会となり、新しい技術が次々と生み出されていく時代には、大量生産・大量消費というビジネスモデルが成立しにくくなります。小ロットでも価値あるものは口コミで売れる時代です。そのような時代に求められるのは、「価値Value」を生み出すことができる人材です。典型はYouTuberではないでしょうか。人が見たくなる動画を作り、実際に見られるということは、少なからずそこに「価値」があります。

 

価値を生み出せる人材に必要なのは、「主体的に考える」「知識をアップデートしつづける」「常識に囚われない」「人が求めるものを対話的に追求する」ということではないでしょうか。

これこそが、近頃よく耳にする「VUCA」(Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の頭文字を並べた表現。「ブーカ」と発音する)の時代に求められる姿勢だと思われます。

 

受動的な学びを経た労働者が主体的に自らの仕事に価値付けをすることは考えにくく、そのため、時代の流れを受けて都度都度「主体的に学ぶ」ということが求められてくるようになりました。また「リカレント教育」(生涯学習)が話題になっているのも、このような世の中の変化に対応するためです。

 

 (2)学習の科学研究から人の「認知プロセス」が明らかになってきた

以前、面白いセミナーを受けました。ハーバード大学で教えた経験があり、日本にアクティブ・ラーニングを広めた一人である羽根拓也さんのセミナーでした。

受講者でペアをつくり、ジャンケンで勝った方があるテーマの内容を要約して相手に伝えるというものでした。しばらく経って、今度はその要約した内容を手元のメモに思い出しながら記す・・・という流れでした。その時のペアワークで私が要約した方だったのですが、メモはその要約内容をスラスラ書くことができました。当然です。自分で話した内容なので。ところが、相手の方はなかなかメモが取れなかったんですね。羽根さん曰く、アクティブ・ラーニングのポイントは「開脳」だということでした。これは羽根さんの造語なのですが、要は脳が活性化するような状況の学びを提供するのがアクティブ・ラーニングだというのです。

 

これに近い感覚を持ったことがあります。東京大学の教授だった故・三宅なほみ先生が普及させた「知識構成ジグソー法」に出会った時でした。

この知識〈構成〉という言葉が重要です。先ほど述べたように、「知識」について、それが確定的で不変的なものと考える場合、知識は授受されるものであり、その内容については学習者は介入できないものであり、結果として知識が定着しておればよく、その獲得状況は重視されませんでした。しかし、実際には知識は変わることがあります。これは例えば「1192つくろう鎌倉幕府(いい国つくろう鎌倉幕府)」と以前は教えていたことが、「1185つくろう鎌倉幕府(いい箱つくろう鎌倉幕府)」のように学術的な調査の結果として知識が変わったというのではなく、学習者の関与の仕方によって知識が持つ構造や意味が変化することを意味します。例えば「神」。日本での神様の概念と、キリスト教的一神教の神様とでは全く意味が異なります。信仰や文化に触れて「神」という知識内容自体が多様でありうることを学ぶ、ということはあると思います。知識や概念は学習により成長もするし、変容もします。

アクティブ・ラーニングでペアワークやディスカッションが重視されるのは、隣のクラスメイト(同じ文化圏・同じ年代)でさえ、同じ文章を読んだ時の理解の仕方が異なる可能性があり、同じ知識でも使い方・理解の仕方が異なる可能性がある・・・ということを学ぶことで、その知識・概念の理解が多様で豊かになり、応用範囲が広がることが分かってきたからです。そのような多様な理解の仕方を、集団学習の中である程度テンプレート化した手法が「知識構成ジグソー法」です。もちろん、この方法だけが正しいのではありませんが、認知科学の研究によって、他者との対話的な学びの中で知識を獲得していくことが好ましいことがわかってきました。

「比較すること」は深い学びを促すキーワードの一つですが、クラスメイトの思考・気づき・意見と自らのそれとの比較をすることで、相互的に深め合うことができます。

 

このように、学習者を一人称とした「知識獲得」や「知識構成」や「信念改訂」という学びのプロセスが充実することは副次的ですが大きな効果をもたらします。それは「学び続ける」モチベーションになる、ということです。小学校の時に理解した知識が大人になっても不変であるならば、学び直す必要を感じないでしょう。もしかしたら小学校の時に誤解して理解していたかもしれない・・・というように「知識獲得にエラーがあるかもしれない」「知識構成に再構成の余地があるかもしれない」「そう信じていたことが間違っていたかもしれない」ということを実感として持った学習者は生涯学習・リカレント教育についても開明的になりやすいものです。

 

また、一人の先生の指導(知識伝授)に対しても「別の理解の仕方があるのではないか?」と相対化できるようになることも期待されます。

 

より期待の大きいことを言うと、アクティブに学ぶことが習慣化すれば、次のステップとして、学習者自身が自らの学びを戦略的に進めることもできるようになってきます。自らの資質・能力や興味・関心を考慮に入れてトレーニングメニューを選べるようになるのです。これを「学習方略」と言います。

このような戦略的・セルフマネジメント的なスキルを身につけるためにも、教師による画一的なトレーニングを基盤とした従来の教育観は見直されるべきです。

 

 

▪️アクティブ・ラーニング実施時のポイント

では、教育現場で実際にアクティブ・ラーニング型授業をする時のポイントはどのようなことがあるでしょうか。ここではポイントとして以下の三つを掲げたいと思います。

 

ポイント1:学習主体者は「学習者」であっても、その授業デザインは「教員」が緻密に行う

学習は学習者が行うものです。その意味で、実際の学習活動をするのは学生ですが、そのメニュー作りや環境作りや学習者がどのような認知活動をするのかをデザインするのはあくまでも教師です。

例えて言うなら、サッカーをするのは選手(学習者)ですが、コーチや監督(が練習の機会を提供したり、プレイの仕方について指示をしたりしますよね。主人公が学習者だからと言って、「何をやってもいい」「任せた」と言いながら本当に放置するのでは成功しない場合が多いです。表に出なくても、舞台監督としての教員の役割は多岐に渡ります。

 

では、その教育デザインで教員が考えなければならないことは何でしょうか。

当然ながら、授業では次のことが考えられなければなりません。

「単元学習で定着させなければならない知識・概念・技能は何か?同様に養わなければならない資質・能力は何か?」

「その力を養うためにクラスで活用できる時間・ツール・リソース・環境は何か?」

「どのような活動がその力を育成するのか?」

「その活動を効果的にするために、どのような問いかけなどの動機付けが考えられるか?」

ということに注意して、シナリオメイクをする必要があるでしょう。

 

特に気を付けたいのが、「主体的」「対話的」で「深い学び」を達成するために設計に入れておくべきなのが「発達の最近接領域」です。これは心理学者ヴィゴツキーの用語です。子どもが現時点で遂行できる発達水準と、周囲の支援があれば何とか遂行できる発達水準との間の領域のことです。平たく言うと、学習者がサポートさえあれば「背伸びをして手が届くレベル」の課題遂行を授業設計にいれておくべきだということです。

当然ながら、既にできることを授業するのは時間の無駄です。とはいえ、難しすぎるとモチベーションが下がります。学習者が何とか頑張ってできるタスクを用意することで、成長が促せます。

 

ポイント2:安心安全な場作りを日頃から行う

アクティブ・ラーニングには活動が伴うことが多々あります。意見発表、ディスカッション、創作など、活動によって自らの認知・理解・知識をアウトプットする(外化する)ことが重要です。

外化すると、その活動や成果物は他人の目に触れることになります。

 

なぜ、外化が必要なのでしょうか?

 

もし、あなたが自分の見映えを良くしたいとしたら、まずどうしますか?妻に丸投げでセッティングしてもらうという方法もあるでしょうが、普通は鏡を見ます。鏡は自分の姿を客観しするためのものです。そこで見えた姿をどのように変えたら理想に近づくかを考えて、髪の毛を触ったりしますよね。自分の意見や知識を一旦アウトプットすると、それを修正・訂正したり客観的に操作ができるようになります。また周囲と比較することで、新たな気付きを得たりもできます。

 

これは、小学生で言うと、しっかりとミスなく計算ができるようになるために暗算ではなく紙に筆算を残すように指導するのと似ています。計算ミスがあった場合、暗算だと「どうやったか忘れちゃった」「ケアレスミスです」というように、自分の計算プロセスを客観視することが難しいのですが、筆算が残っているとミスした箇所や手順の悪さを認識することができます。

 

外化をするということは、自らの認知プロセスを客観しすると共に、外化するためにインプットも充実させようとする意識が働くことになります。

また、授業設計でも「発達の最近接領域」に照らしたタスクを提示すれば、失敗することも多々あります。むしろ失敗から学ぶことの方が多いのです。

 

このような外化を前提とした学びでは、何よりも大事なのは、学習者にとって真剣に取り組んだ学びが他者によって不当に扱われないように教員が場をデザインするということです。失敗をしたとしても、非難されない、安心・安全な学びの場をつくるのが教師の役目なのです。

 

ポイント3:振り返りも含めた形成的な評価を残す

上記のような活動をしていくと、授業前・授業中・授業後の学習者の知識・概念が変化してくことがあります。それの振れ幅が多いほど、発達が進んでいると言えます。

ただ、「発達の最近接領域」のところでも述べたように、授業内での協働的な学びの場面では学習者は「背伸び」をしている状態です。家に帰れば背伸びをやめます。その状態だと、一旦得た知識・概念・感情といったものはすぐに日常の中に埋没します。

単なる感想文ではなく、授業終了時に「何に気づいたのか」「どのような変化があったのか」という自らの『認知プロセス』をメタ認知的に理解し、残すことで、今後の知識獲得・知識構成のレベルの高い再現ができるようになっていきます。

自分の認知プロセスの癖などを知ることで、学習をセルフマネジメントすることにもつながるでしょう。

 

このように、自らの学習活動によってできた「成果物」や「振り返り」、振り返りを通じて再度チャレンジできた「(新たな)成果物」を、学習履歴として残すことを学習の「ポートフォリオ」と言います。今、「eポートフォリオ」ということが盛んに言われていますが、電子化したものを言います。

 

▪️アクティブ・ラーニングと教育ICTの関係性

ここで、アクティブ・ラーニング推進のためには教育ICT活用が非常に重要であることを強調したいと思います。

アクティブ・ラーニングにICTツールやデバイスが「必須」かと言われると、もちろん必須ではありません。しかし、あった方が良いですし、あるとアクティブ・ラーニングが進みます。

変な喩えかもしれませんが、教育ICTのツール・デバイスは、自転車やバイクに似ています。移動するのに、自転車が必須かと言われると、「(遠くても)歩いていくことはできる」と言うことができます。自転車が便利だと頭で理解していても、乗ったことがない人は乗る練習をする時間・労力を考えると、歩いた方がいい、と判断することもあるでしょう。しかし、乗ることをしなければ、自転車の楽しみ方も、その便利さもわからないままです。

 

教育ICTを活用した学びのメリットは、大きく言うと3つあると思います。

・記録する

・共有する

・表現する

 

「これくらい、アナログ(紙)でできない?」という意見もありそうですが、学習活動の全てを「文字・図絵」で残すことはできません。例えば、音楽であれば「音声」で残したいでしょうし、体育であれば「動画」で残したいでしょう。英語でも発音トレーニングをする場合、音声として記録し、それについて修正をしていかないと発音のレベルアップは望めません。(弊社の『トレパ』はAIによる音声認識技術をつかった発音トレーニングができます。 https://torepa.jp

 

私が教壇に立っていた時には、生徒たちのノートチェックを細かくしていました。ノートには、生徒の解答プロセスが残っています。それについて、私がコメントをすることで、インタラクティブな対話がそこで繰り広げられます。そのためのフィールド・コンテンツを共有しないと、このような対話は始まりません。教育ICTのメリットは、データを記録することで、それを共有することができます。メールやSNSやストレージで、それが簡単に行えます。

 

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自らの考えや理解したことを表現することも重要なアウトプットとなります。

先ほどの記録のメディアの多彩さによって表現の幅も広いのが教育ICTのメリットです。

「人にわかりやすいようにするには、どのようなメディアで、どのような表現をするべきなのか?」というのも、独りよがりにならない表現力を身につける好機です。

 

上記に加えて、プログラミング学習などで(アンプラグドと異なり)PCやタブレット端末を使うことで、何度もやり直しができたり、リアルタイムの調整・工夫を行うことも期待されています。

 

GIGAスクール構想で一人一台端末という話題がメディアを賑わせています。文部科学省は端末導入の目的の一つとして「学習の個別最適化」(アダプティブ)を掲げています。

もちろん、このような活用も期待されるべきでしょう。しかし、この個別最適化が「独習の効率化」だけを意味するのであれば、それは残念なことです。ぜひ、集団のダイナミズムの中での学びにICT活用をしていただきたいと思います。

 

▪️アクティブ・ラーニングの失敗要因
以上、アクティブ・ラーニングのポイントについてつらつらを書いてきました。しかし、最初に私が述べたようにアクティブ・ラーニングについて誤解も多くあります。

いくつか、失敗要因・誤解について私なりに整理したいと思います。

(1)はいまわる「活動主義」

学習活動を重視することと、「活動さえしていればアクティブ・ラーニングになる」ということとは全く異なります。これは以前から指摘されていることですが、ペアワークを取り入れる、ディスカッションをする、という形式的な活動を取り入れることが目的ではありません。「どのような力を育成するための活動なのか」というポイントは外さないようにしたいものです。

実際にアクティブ・ラーニングを取り入れたけれども、全然盛り上がりもしないし、理解も深まらなかった、というのは、このタイプでしょう。

 

(2)全員参加を強要

学習者の個性や人間関係によって、積極的に学習活動に参加する者と消極的な者はバラつきます。その参加具合を統一しようと、全員が同じように参加することを求めると、ストレスになります。一斉に同じ行動をさせるのであれば、多様な認知による集団のダイナミズムは生まれません。参加の仕方の濃淡があったとしても、それぞれがそれぞれのスタンスで学習活動に参加できるようにデザインすることが重要です。

 

(3)教えすぎる

どうしても教員の習慣として、「理解させる」「わかりやすく説明する」という教える行為を重視しがちです。しかし、自ら考えている最中の学習者にとって過剰なガイドは自ら深く考える機会を奪うことになります。授業内での学習活動に際しては、十分に思考を深める時間的余裕も含めた設計をするようにしたいものです。

 

他にもありますが、授業のスタイルの変更によって成果がでるためには、体質改善のようにゆっくりとクラス内での意識を変えていくことも大事です。

 
▪️国内でのアクティブラーニングの実例

では、アクティブ・ラーニングのベストプラクティスを一例ですが紹介します。

グローバル・ティーチャー賞2019のファイナリスト・トップ10にアジア人で唯一選ばれた正頭英和先生(立命館小学校)の授業です。(http://www.ritsumei.ac.jp/primary/news/detail/?post_id=255

 

正頭先生の授業の概要は次のようなものです。

・マインクラフトを使って、立命館小学校の小学生が京都の史跡を制作。

・海外の小学生たちとオンラインで、それぞれが制作したマインクラフト上の史跡を英語で紹介しあう。

というものです。

コミュニケーションによる英語力向上を目指すのであれば、ネイティブ・スピーカーとの対話の機会を創出することが重要だということで、ALTを学校に配属するというのが一般的です。ところが、問題なのは「何を対話したいのか」というテーマ・コンテンツです。

いわゆるクラスルームイングリッシュのように、挨拶に代表される定型文のやりとりではなく、言葉を紡ぐような「伝えたいことを表現する」という主体的な活動を促すことが教員の腕の見せ所です。

 

正頭先生は、うまく「自分で調べたことを自分でつくる」ことで制作物にコミットするように促します。このような主体的な活動を通じて、自分が作ったものを人に伝えたいというモチベーションを確保した上で、「対話の場」を設定しました。

普通、ネイティブ・スピーカーと非ネイティブ・スピーカーとの英会話の場合、メリットは学習者の方にあり、「教えるー学ぶ」という一方的な関係になりがちでした。しかし、お互いに自分が調べた史跡について、制作物を見せながら説明する中で、お互いの文化・歴史というコンテンツについて学び合うという機会を担保しました。

 

様々な要素が絶妙のバランスで結実した授業だと思います。

 

2020年3月12日には正頭先生の新刊も出版される予定ですので、そこで詳しく意図などを知ることができるでしょう。

 

 

▪️最後に
日本アクティブ・ラーニング学会は、2030年には解散することを宣言しています。理由は、その時期には「アクティブ・ラーニング」ということがわざわざ口にされなくても、全ての学習者がアクティブに学ぶ社会が実現されているだろうという期待が背景にあるからです。(https://jals2030.net

 

人間には好奇心があります。学びは本来楽しい部分が少なからずあるはずです。その本来持っている資質・能力を従前に発揮できるように、今一度、アクティブ・ラーニングの重要性についてそれぞれの立場から考えていただきたいです。

 

最後まで読んでくださった皆様に。

まず、私たち大人がワクワクする学びをしていきたいですね。

デジタル・ナレッジは、そんな学びをeラーニングの立場から支えていきたいと考えています。


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