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AIに歩み寄る教育デザインについて~松原仁教授のヒントと森田琢也先生の実践から~

勉学の秋。みなさん、何かしら自己研鑽で勉強はされていますか?
こんにちは。秋と言えば「食欲の秋」、「岡田肥ゆる秋」と真っ先に思いうかべる「研究員」岡田です。
私は職務上、さまざまな研究会やセミナーに顔を出して、情報のキャッチアップをしなければなりません。この秋は、非常に面白い勉強会が多くて、週末は大忙しです。
最近、面白かった研究会は『<考える力>とは何か?―思考の教育における哲学系諸学の役割―』(日本学術会議第一部哲学委員会哲学・倫理・宗教教育分科会)です。2018年11月10日東京のテレコムセンターで行なわれました。
実は、一部のメディアで、私の大学院での専門が「教育心理学」だとされていますが、正解は「哲学」です。
※家庭新聞さんの記事(https://www.kyobun.co.jp/news/20181004_02/
この研究会、錚々たるメンバーが集まっておりました。
心理学の立場から批判的思考力を研究されている京都大学の楠見孝教授。楠見先生とは学習のモチベーションについての共同研究をしていたこともあり、お久しぶりにいろいろ話をさせていただきました。
指定討論者には東京大学名誉教授の一ノ瀬正樹先生。学生時代からの憧れです。科学哲学の分野で知らない方はおられないでしょう。一ノ瀬先生は、学会でお見かけすることはありましたが、話をしたことがなかったので、感激しました。
登壇者ではないのですが、私のすぐ隣には見知った顔が。公立はこだて未来大学の美馬のゆり先生がおられました。以前に一緒に仕事をしたことがあり、学習方略について叩き込まれましたw
そして、人工知能研究といえば!公立はこだてみらい大学の松原仁教授。
他の先生たちもすばらしいお話をしてくださったのですが、今回は、松原先生の次のような言葉が胸に刺さりました。
『人工知能の研究は人間とは何かの探求』
そうなんですよね。私は人工知能の研究者ではなく、あくまでもAI関連技術(AIの明確な定義がないので、最近では周辺技術の総体として「AI関連技術」と言うのが通例になりつつある)を利用した教育サービス設計者であり、AI関連技術の特性を理解した上で、その利用方法を提案する立場です。しかし、その立場からでも、この松原先生のお言葉の重みは分ります。まさに、私が対峙している事柄です。
私たちは「トレパ」(https://torepa.jp/)というAIによる「英語4技能対策授業」実現ツールを公開しております。
英文を用意していただければ、エディター機能により、AIを使ってリスニング・スピーキング・ライティングのトレーニングができるというコンセプトです。
このツールを公開してから、利用していただいている先生方から様々なお声を頂戴します。当然ながら、賞賛の声だけではありません。
UIについては、まあ、割愛するとして…根幹であるスピーキングの「精度」についてです。
この「精度」というのが曲者で、この表現の理解について一致していないことが大問題です。
大別すると、次の二つの解釈があります。
(1)「精度が良い」とは、ネイティブの発音に近い発音をした時のみ評価される。且つ、その評価基準が一定である。
(2)「精度が良い」とは、学習者の発音がどのようなものであってもそのレベルに合った評価がなされる。且つ、その評価基準が一定である。
どちらも、後半の部分は同一ですので、前半の部分の差異になっています。
実は、私も「トレパ」に取り組み始めた頃は、(2)が「精度が良い」と思っていたんです。でも、考えれば考えるほど、(2)の立場はある期待と誤解に基づいたものではないか、ということが分かってきました。
ここからが本論です。
先ほど話題にした松原仁先生は、人工知能の明確な定義というものがない理由について、『人工的に知能をつくる』という前提となっている「知能」自体、人間のどの働きをもって「知的」というかということが明確に定義されていないからだ、と説明していました。「知能」が揺らげば、「人工知能」も揺らぐ。至極当然のことです。
ところが、そのような人間の知性や知的営みということを熟考せずに、「人間が行うよりも効率的なことを工学的技術で実現できるようになった」という事実(例えば囲碁でプロ棋士に勝つとか)があった時に、『AIが人間に近づいてきた』という感覚を持つ方が多いように思います。囲碁や将棋などは、人間の知的活動の中でも高度な物だと皆さん思っているので、特にそう思うのでしょう。
《AI関連技術の擬人化》はこのように起こります。しかし、実はこの《擬人化》という作用自体、人間の想像力によって生み出されていると思います。(以前、AIの創造性についてブログを書いています。「人工知能が描いた「絵」に絵心はあるか? ピカソと幼稚園児のちがいから考える」https://www.digital-knowledge.co.jp/blog/archives/3508/
さて、先ほどの(1)(2)で論点になっている「精度」ですが、
(1)は「学習者」が歩み寄らなければならず、
(2)は「評価者」が歩み寄ってくれる、
とイメージするとその違いは分かりやすいと思います。
野球の投球になぞらえましょう。
(1)は厳密なストライクゾーンがあり、ピッチャーはそこにボールを投げないとストライクを取ることはできません。キャッチャーもアンパイアもストライク以外は認めません。
(2)は、ピッチャーがある程度ボール球を投げても、キャッチャーやアンパイアがそのボールを受けてくれます。
(2)は、学習者にとっては負担が少なく済みます。初学者にとっては必要なステップでしょう。一方で、(2)のままに留まっていることは教育目標上、好ましくありません。
(1)は、初学者にとっては非常に厳しいハードルになります。一方で、よく幼少期から英会話教室に通わせている保護者の方が通わせる理由として挙げるものに「耳を鍛えたいから」というものがあります。「ネイティブと交流することで、耳と口を鍛えたい」と。ところが、日本に来ているネイティブスピーカーの方で教育に関わっている方は、大抵はカタカナ英語を話しても受け止めてくれます。私たち日本人が、海外から来た旅行客のカタコトの日本語を受け止めるように。
さて、以上のような議論をしていると、皆さんはこう思ったのではないですか?「いやいや、教師は(1)と(2)をうまく使い分けているんだよ」と。
そうなんですよね。普通、教育ってカリキュラムというものがあり、そこで教育の目的に合わせたカリキュラムデザインがなされます。このカリキュラムデザインが下手だと、一回一回の授業やトレーニングに無理無駄が生じ、学習効果はあまり出ません。一回一回の授業やトレーニングにも、その日の授業展開・教案というものがあり、どのようなことを理解させたいのかという目標へ到達させるための工夫が必要なのです。
人間の先生はそれを自然にこなしています。(新任の先生は意識的にこなしているかもしれませんが。)
「トレパ」の場合、ストライクゾーンが「狭く」て、「厳しい」と言われます。この「厳しさ」には2種類あると思います。
(A)(1)と同じネイティブを基準とした厳しさ
(B)単文はうまく評価してくれるけれども、複数の文章(パラグラフ)のスピーキング評価は厳しい
(A)の場合、よく言われるのが、「人間と同じように(1)(2)を柔軟に使い分ければいい」ということです。
これ、言うは易く行うは難し、なのですよ。
というのが、ストライクゾーンの基準となるデータベースの設計の問題だからです。「トレパ」は現在のところIBMのWatsonのデータベースを利用しています。
これは、現在のところ、ネイティブスピーカーのデータベースとして世界最大級のものだからです。英米圏の方々が日常的に発話している「音」をデータベース化していますから、それが基準になります。言い換えると、英米圏のネイティブスピーカーが日常的に「わかりやすい発音」だと思っているものが基準となっています。(ここで「わかりやすい発音」を強調しているのは、当然ながらネイティブスピーカーでも滑舌の悪い人はいると思われるからである。日本人でもアナウンサーのような発音が理想であるが、訛っている人もいる。しかし、どこからが「わかりやすい」か、どこからが「訛っているか」という問題はさらに難しい問題となるので、ここでは詳細には触れない。)
この問題の解決方法として、「日本人の初学者の音声をAIに学習させればいい」という意見が多く聞かれます。
これ・・・本当にうまく行くのでしょうか? 例えば極端な例ですが、「日本人によるカタカナ英語」データベースができたとします。すると、私が発音した英語は、そのカタカナ英語データベースを基準として評価されます。それこそ、「上手にカタカナ英語が言えたね!」ということが褒められる可能性はないでしょうか? 極端な例では、ネイティブスピーカーの発音は「カタカナ英語としては評価できません!」と低評価になることも考えられます。
ストライクゾーンの設計
再び言いますが、人間の教師であればこのような(1)(2)をうまく調整できるのです。
この調整を行う際の教師のノウハウが明確化され、そのノウハウ自体を自動化できれば問題解決でしょう。そのノウハウ自体、教師社会の中で一定のものとして存在するのかどうか・・・
AIを利用することで、人間の教師のさりげない「すごさ」が良く分かります。
この人間の教師のすごさを解明するまでは、AIは(1)であると認めた上で利用するか、そもそもAI技術を使わずに何らかの特徴的な音声を発すれば受け入れてくれるツールを使うか、どちらかでしょう。
(B)については、どうでしょうか?
これも人間のすごさが分かります。
次の画像の中で示しているように、人間は意味に関係ない発音を「除去して」リスニングしています。ところが、AIは真面目に音を何とかテキスト化しようとするんですね。
パラグラフスピーキング
この現象は、スマートスピーカーを持っている方なら一度や二度は感じたことがあるかもしれません。我が家にAmazon Echoがあります。「アレクサ!」と呼び掛けると動くのですが、普通に妻と会話していると、何の拍子か、動き出すことがあります。こっちは意図してアレクサとは発音していませんが、スマートスピーカーは「アレクサ」と認識してしまうのです。これは精度が悪いわけではありません。たまに人間同士だってそういうことが起こります。
英語学習でいうと、人間が長文を発音する時、大抵は無駄な音を発しています。タレントさんやアナウンサーの方はそういう無駄な音がほとんどありません。しかし、下手な人がプレゼンすると大抵は「あ~」「え~」などの無駄な音が多いことに気づきます。このプレゼンの場面に照らし合わせると、日本人の英語のスピーチになぜ無駄な音が多いかもわかります。
私たちは、母国語で会話していて、特に緊張したり、言い間違いを恐れない場合には、あまり言葉に詰まることもなければ、無駄な音も出しません。例えば、母親に向かって「お腹すいた!」という時に言い淀んだ覚えはありません。ところが、高級レストランでオーダーする時にはちょっと噛んだりすることがあります。また哲学議論の時も。言葉を慎重に選びながら言う場面ですね。
英語が苦手な人が、予め決められた英文を発音するのではなく、自由にその場で言葉を紡ぎながら発音するというのはかなりハードルが高いです。このような場合、無駄な音が多少生じます。
ここから見えてくるのは、そういう無駄な音を除去する人間の知能の素晴らしさと共に、それが除去できないなら、除去しなければならない場面では(現状の)AI技術は使わないという判断が重要だということです。(「無駄」な音というように、無駄と判断している時点で、その発音・発話にとってその音が有意味か無意味かを人間が判断しているということ。AI技術では現状は意味理解が伴わない。)
つまり、「流暢さ」を身につけるためのトレーニングではAI技術は使えるが、しどろもどろでも「伝える意志」を育成する場面では使わない、ということです。
パラグラフスピーキングでは、一気にAIに評価させようとすると、パラグラフの中の一文だけ言い淀んでしまうと、他の英文の評価にも連鎖反応的に悪影響が出ます。(この辺りは文章では説明しにくいので、毎月行っているセミナーで確認してください。https://www.digital-knowledge.co.jp/archives/17380/ また、「トレパ」の新しい機能である「発音v4」や「ペアワーク」を使うとこの問題はある程度クリアされます。)
パラグラフスピーキング2
結論めいたことを言うと、「AI技術を使うべき場面で利用する」リテラシーが求められるということでしょう。
AI技術に教育を丸投げするのは、自分が受けもっているクラスを、誰とも知れない人に授業させるような怖さがあります。初任者研修や教育実習以外では、本当に信頼できる先生にしか授業は任せないはずです。
ここで、一つ、私が感動した「トレパ」を使った授業例を紹介します。大阪府立箕面高校の森田琢也先生の授業です。
2018年10月20日(土)に、大阪府立箕面高校でトレパでの授業実践の研究会をこじんまりと行いました。
そこで森田先生の模擬授業を体験しました。以下のような流れでした。
①同じ曲を演奏しているバイオリンの3つの音源を聞かせる。
②英語で、「どの音源のバイオリンが一番高価なバイオリンであるか」を問う。クイズを使って、クラスのモチベーションを上げる。
③教科書内容が音楽についてであるので、その部分をトレパでリスニング教材化。(この部分は模擬授業では割愛。)
④ペアワークとして、「どんな音楽が好きか?またその理由は?」を英語でスピーキングさせる。(一旦、言葉を紡ぐ練習をさせる。)
⑤ワークシートを使って、④をライティングとして完成させる。
⑥完成した自分だけの英文をトレパ相手にスピーキングして、ちゃんと認識されるかを確認。
⑦上記⑥の結果を、提出。※トレパはスピーキングの音声のダウンロード、評価画面のpdf化ができる。それを他のツールで先生に提出。
ここでトレパを使っているのは③⑥のみ。⑤の際に、『参考程度に』トレパの文法チェックなども使うそうですが・・・
トレパの特性をよく理解して練られた教案だと思います。森田先生の説明で興味深かったのは、以下の点です。
◆トレパはエディターなので、授業に即したリスニング教材がすぐにできること。(アプリなどでは英文をエディットできないものがほとんど。)
◆「この英文を発音しろ」というだけではなくて、どんな英文を発音しても、それが(ネイティブの耳に近い)AIがどのように聞こえたのかが明確に分かる。
◆生徒さん達は、森田先生に向かって発音するよりも、熱心にトレパに向かって発音する。どうも、先生には聞かれたくないが、ちゃんとトレパに判定してもらえる発音はしたいというモチベーションが高まっている。
また、この研究会で次のようなことも話が出てきました。
◆既存の授業を、トレパを使って代替するのではなく、トレパを使った新しい授業活動をするべき
◆プロダクト目線とユーザー目線という区別があるが、トレパのように機能に制約があるものでもプロダクト目線で使うこともアリではないか。マークシート方式もあれは受験生目線ではなく出題者側のプロダクト目線。しかし浸透した。
人間にしかできない授業。AI技術を使って手に入る授業。後者はまだまだ開拓期ではありますが、ちょっとAI技術についての過大な期待を捨てれば、できることはたくさんありそうです。
まず、トレパを体験してみませんか?
11月14日~16日「御茶ノ水ソラシティ」にて、「eラーニングアワード2018フォーラム」が行われますが、そこにデジタル・ナレッジのブースがあります。そちらで「トレパ体験したい!」と言い淀まずに言ってみてください!w
http://www.elearningawards.jp/
森田先生の教材の一部が公開されていますので、是非、ご覧ください。

今日は「トークの日」~トレパJを活用したインターカルト日本語学校さんの取り組み紹介~

本日は10月9日!! 「10(トー)9(ク)」の日、ですね?

いつも思うことは、人と話すことって非常に難しい!価値観のちがい、その瞬間にこだわっている点などのちがい、言語表現についての感覚のちがい・・・そんなことを考えながら3連休をのんびり流れる雲の下で過ごした研究員・岡田です。

 

私の場合、何年も学び、何年も悩み、打ちこんだはずの英語では、なかなか成果が出ませんでした・・・哲学・思想系の英文は読めるんですが、例えば経済学なんかだとまるっきり分かりません。ましてや、「話す」ことは苦手で、いつも逃げ出したくなります。

翻って考えて、世の中のコンビニで働く外国人の方々の日本語の上手なこと! 応援したくなりますよね。

 

実は先月ですが、弊社のAIツール「トレパ」(https://torepa.jp/)のコンテンツパートナーであるインターカルト日本語学校さんの授業を見させていただきました。「トレパJ」(トレパの日本語版)を使った授業でした。

インターカルト日本語学校さんの

 

授業内容は、「尊敬語」!日本人でも難しいですよね。特に、友達同士の会話ではなかなか出てこない特殊な表現であったり、ちょっと持って回った言い回しに舌がついていかない・・・

単に尊敬語のトレーニングというだけではなく、尊敬語を使うシーンとして「アルバイトの面接」を設定していました。やっぱり、言語学習はどこまで「自分ごと」の課題感に落とし込めるかが重要ですよね。

写真 2018-09-03 17 09 12

授業の流れは以下のようなものです。

(1)ダウンロード方法の資料を配布

(2)トレパJの用意した尊敬語コンテンツを使い、1台のiPadをクラスで回して、活用の確認をしながら発音トレーニング

(3)教室モニターで結果をみんなで確認。発音のポイントを先生より解説

(4)2~3人のグループになり、各グループでトレパJをおこなう(尊敬語の練習)

(5)次にプリントで面接会話を敬語に直しみんなで確認

(6)グループでトレパJをおこなう(面接トレーニングで面接官と会話)

(7)来週面接のテストをやることを告知

 

 

トレパJは、個人のスマホでトレーニングできますが、インターカルト日本語学校さんではクラス内でiPadを回して、みんなでとレーニングを共有していました。

個人トレーニングでも、結果を他の人に気軽に見せ合っていました。

写真 2018-09-03 17 10 44

日本人に比べて、やはり照れというのは少ないのでしょうか。みんなで楽しくワイワイと他の人や自分の結果を見ながら一緒にトレーニングする雰囲気はとってもステキですね。

実際に、インターカルト日本語学校の先生からも、

今回、授業の始めに尊敬語の活用コンテンツを皆で回してトレパJを行い、結果をモニターで共有する流れにしたところ、一人でトレパJを行うよりもクラスメイトの発音結果を確認することができたので、周囲との比較や自身の発音の課題が見えやすくなったと思う。そういった事から、トレパJを授業で取り入れる際は、クラス全員で取り組めるような流れにするとクラスでトレパを行う意義があり、より内容の濃い授業になると感じた。

という感想を頂きました。日本の英語の授業でも是非このような一体感のある授業がトレパで展開できるといいですよね。

 

今日は「トークの日」。皆様も、英語でも日本語でも、トレパを使ってみませんか?

◆トレパ(英語)の公開コンテンツはコチラ

https://dk-ai.mybluemix.net/

◆トレパJ(日本語)の公開コンテンツはコチラ

https://dk-ai.mybluemix.net/ja

「教育×VR」の新潮流?VR/AR/MR ビジネスEXPO TOKYOに参加してきたよ~

行ってきました!

VR/AR/MR ビジネスEXPO TOKYO

あ、強調し過ぎた。。そろそろMicrosoftからHoloLensの新しいのが出るのではないかと、MR貯金をしようかと思っている研究員・岡田です。

秋葉原UDXで、10月4日に上記の展示会がありました。

意外と、すいすいと入れます。なぜなら、今回、VR,AR,MRの展示会なので、「体験しなけりゃ意味がない!」ということで、参加者はチケットを購入する際に入場時間帯を選びます。こうすることで、スムーズにそれぞれの展示ブースを回ることができます。

 

気になったブース・サービスを紹介する前に、少しだけ強調したいことがあります。

それは、「VR,AR,MRは体験しないとわからない」ということです。

 

これ、言葉でいうと簡単なんです。これもよくセミナーでお話をする内容なのですが、野球で「ヒットを打てるようになりたい」と言ってくる子どもに、「ストライクのボールが来たら、バットで打ち返せ」とアドバイスするような言葉での指導は意味がありません。

baseball_hit

同様に、社会人のOJT(On the Job Training)や、学生の社会科見学・体験学習が無意味なものになってしまいます。でも、これらこそ、本当に重要です。

体験でしか理解できないものが確実に存在します。

 

さてさて、展示会に話を戻します。

IMG_3772

デジタル・ナレッジもブースを出しておりました。やはり、最近では「研修」分野での利用が多くなり、社内研修として「VR+eラーニング」というセットに注目が集まっています。

従来のeラーニングだと、知識の伝授というところがメインでした。しかし、今後は社内研修などでOJTに変わる「体験」をもとにした教育が必要となってくるはずです。

というのも、今はどこも人手不足。先輩や上司が後輩を丁寧に指導する時間的・人事的余裕がないという声もよく聞かれます。また、OJTでは、ルーチンに近いような典型的・定型的な状況での業務遂行や判断のトレーニングはできても、「危機管理」(例えばクレーム処理など)という年に数回しか体験しないような事柄や偶発的に起こる事柄についてのトレーニングは「機会がない」という意味でできませんでした。それをeラーニング、特にVRを合わせたeラーニングでは、転ばぬ先の杖となるような事前トレーニングが可能になります。

 

別のブースに目を転じてみましょう。

私が最も関心を持ったのは、株式会社Synamonさんの「NEUTRANS BIZ」(http://neutrans.space/)です。

VR空間構築ソリューション、というフレーズが興味をそそりますが、これ、VR会議室だと思ってください。それを体験しました。

 

いやーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

キタキタ!!!!

 

ペン使って、会議できるんだよ?

しゃべれるんだよ??

3Dオブジェクト、いじれるんだよ???

 

 

 

 

 

 

 

 

ね? 体験していないと、私の興奮の意味が分からないでしょう?w

何よりもすごいのは、ペン機能とカメラ機能! これは、会議室ではなく「開発室」や「研究室」になる。

ペンは、x軸・y軸だけではなく、3D空間なので、空中にz軸も含めた奥行きある線が書ける。いわゆる3Dペン(http://3d-printer.marketing-be.com/archives/6552)を使っている感覚です。

 

これが初等中等教育で使えれば、空間把握力が育成できる仕組みができそうですね。

 

他で興味を持ったのは、VTuber、動き回れるVR水族館(https://www.forgevision.com/)、MR,ARを利用したOJT支援ツールです。

 

VR水族館は、歩ける…というか、デモでは2・3歩でした。ただ、それでも、3DCG空間ではなく、リアルな風景を撮影したVR動画の中を動けるのは新鮮でした。没入感が違いますね。プロジェクションマッピングの技術の応用だ、ということをスタッフの方はおっしゃっていました。視点の変化による対象物との「角度」が変わることに着目した技術でしょうか。これも言葉で表現してもしょうがないなあ、体験して!と思います。

あとは、事前トレーニングとしてVRを使うのではなく、リアルタイムに業務中に教育しちゃおう、というノリがMR,ARにはありますね。

 

そして、思えば、機材の性能が本当に良くなったな、と。

HMD(ヘッドマウントディスプレイ)の液晶を開発している会社さんのデモでは、解像度などが格段に向上していて、感動しました。

 

「VRなんてまだまだ先だよ」って思っている方、まず体験してみましょう! VRのエンタメ施設も、各地にできていますしね!

 

◆デジタル・ナレッジの教育用VR制作サービス◆

https://www.digital-knowledge.co.jp/product/vr-contents/

 

基礎技術開発の重要性~~ABLE「脳科学を教育に活かす」に参加して~

朝夕、めっきり冷えてきましたね。お風邪など召されていないでしょうか。

eラーニング戦略研究所の「研究員」・岡田です。ご無沙汰しております。

 

最近、何をしているか、というと「研究」です。その一環として、先日はABELの「脳科学を教育に活かす」というセミナーに参加してきました。http://cogpsy.sfc.keio.ac.jp/able2018september/

このセミナーの主催者である慶応大学の今井むつみ先生(http://cogpsy.sfc.keio.ac.jp/imailab/)は、私の憧れの研究者です。認知科学の分野から、学習論を論じるという、「認知学習論」を提唱されており、特に第二言語習得と母語の関係性などの研究で有名です。数々の新書もご執筆されており、非常に明快な文章で中高生にも人気があるようです。

 

その今井先生の最初の一言は、非常に示唆的でした。

今、巷には「脳科学」の研究者が教育や学習についてあたかも真正な知見であるかのような情報発信をしている場合がある

こんな趣旨でした。

脳科学の研究者が教育や学習について語ることがそこまで危ういことなのか、と思う方もおられるでしょう。

しかし、いくつかの点で、学術的には危うい傾向があります。それを整理していきましょう。(ここからは、ABLEの発表を聞いて、岡田が理解した限りの論点整理です。責は岡田にあります。)

 

【Point1】

脳の「状態」を測定できるということ、また脳状態と心理状態との相関関係が明確になることと、「どうしたらそのような状態になるのか」とは異なる。

例えば、ある学習動画を見た受講生たちの心理状態と脳状態を計測したとします。

Aさんは、大変心地良く感じ、その時の脳状態も「心地よい」時に反応する状況だったとします。

Bさんは、大変不快に感じ、その時の脳状態も「不快である」時に反応する状況だっとします。

この違いについて測定できることと、なぜ2人の反応にこのような差異が生まれたのかを知ることは違います。例えば、Bさんはここに登壇していた講師のことを個人的に嫌いだっただけかもしれません。このように、「快/不快」や「集中/散漫」などの状態を計測することはできますが、これらの状態を引き起した原因について知ることは別のことです。

 

さらに深刻なことは、10個の英単語を覚えているCさんと、10000個の英単語を覚えているDさんの学習の差を、脳状態で測ることはおそらくはできないでしょう。もし、2人ともが英語学習を「心地よい」と思っていたら、そのような脳状態になるでしょう。もちろん、熟達具合によって、脳の多様な場所が同時に反応するか否かなど、調べることはありそうですし、今後、画期的な発見があるかもしれません。

一方で、何かを一瞬で判断することがタスクになっている場合には、その時の反応が脳内でどの部位が連動して動いているかは計測可能です。

 

一つのことが計測可能だからと言って、それを拡張して適用することは、アカデミックな領域では慎む場合が多いのですが、こと教育(というよりも「学習」)になるとそれぞれの持論を語ってしまいたくなるようです。

今井むつみ先生がおっしゃっていましたが、例えば脳科学で「猫」に対して行われた実験結果がどこかの論文に載ると、なぜか人間一般に当てはまるかのようにメディアが取り上げることがある、とのことです。

AI(人工知能)についても、確かにシンギュラリティの論説は、ある特定の研究者が提言しただけで、定説までになっていない状況でメディアが広めたという経緯があります。人工知能学会の有識者の方々はシンギュラリティに否定的です。

これらをまとめると、以下のようになります。

【Point2】

一つの学術的知見を、拡大解釈・拡大適用することは慎もう

 

加えて、当日登壇されていたスイス連邦工科大学のMINT学習センター所長のラルフ=シュマッハー教授が非常に面白い例を挙げていました。

IMG_3541

椅子というものは、様々な種類があるけれども、それを「記述」するのに様々な切り口がある。例えば、「機能的」「美的」「経済的」…など。

記述の多様性ということで私が思い出すのは、イギリスの女流哲学者アンスコムの著作『インテンション』です。

彼女は、次のようなシーンを例に挙げます。

ある男が夜中にノコギリで木を切っています。「何をしているんだ?」と質問された時、その男は何と答えるでしょうか? 普通に「ノコギリで木を切っていたのさ」なのか、「騒音をたてたかったんだ!」なのか、「おがくずを大量につくりたかったんだよ」なのか。

物理的には同じ現象や同じ物に対して、記述は多様にあります。学問領域や論者の立脚地によっても、同じ現象をどのように記述し、分析し、解釈するかは異なってくるでしょう。心理状態や学力を「脳の状態」という物理現象に一元化したり還元することが困難であることをシュマッハー教授は示唆してくれていたと思います。

【Point3】

記述を、ある特定のものに「還元」しようとしても無理なことがある

 

 

今、学びに対して「エビデンス」ベースに語られるべきこと、また価値ある学びが提供されるべきことに異を唱える人は少ないかと思います。

しかし、それらがゆがめられたりすることは、無自覚に学びを提供することと何が違うのか…そんなことを考えさせられた一日でした。

 

私たちが「トレパ」というサービスを立ち上げた時に、念頭にあったことは、このことです。AI(人工知能)を導入することで、価値ある学びが提供できる!と強弁する根拠がありませんでした。(今は、多少なりとも実証的に自信をもっていますが。)

学びは、誰にとっても身近であり、誰にとっても重要なものであるので、誰もが何かしら持論があります。しかし、それを「提供する側」になると急にその責任感の重さを実感します。批評家ではなく、実践家の皆さんと学びを創っていきたい。改めて、eラーニング専門会社として襟を正す思いです。

みなさんも、巷にある学習論を見直してみませんか?

 

◆「教育×AI」について岡田の論は、以前、AINOWさんに寄稿しました。

http://ainow.ai/2017/12/15/129360/

 

 

 

 

教育×AR ~ARの「超越」はeラーニングに何をもたらすか~

最近、JINS MEMEが欲しくてたまらない、「研究員」岡田です。やっぱり、社内でも家庭内でも稟議が必要でしょうか…
さて、皆さんは、ARを普段どの程度使われていますか? 「ポケモンGO」が流行し、一度くらいはAR技術に触れた方もおられるかもしれませんが、普段、そこまで使ってらっしゃる方は少ないかと思います。
まだまだエンターテイメント用の技術であり、普段使い(日常生活や普段の学習)に使うイメージではないでしょうね。
しかし、ARには大きなポテンシャルがあると考えられます。
本日は、8月28日に公開されたMENSONの梶谷さんの刺激的な記事を読んで触発されたので、VRとも異なるARのeラーニング活用について考えてみたいと思います。
その梶谷さんの記事といういのは、こちら。?https://note.mu/kajiken0630/n/n0e43ab1bac6a
この記事を読んで、MENSON(https://www.meson.tokyo/)さんの活動が非常に気になりました。
さて、詳細はオリジナルの記事を読んでいただくとして、この記事では以下の5つのポイントについて、ARが超越していく、と語られています。
1. O/Oの超越
2. 知覚の超越
3. 距離の超越
4. 時間の超越
5. 規模の超越
教育×ARということで、教育(初等中等教育~人材育成)での適用ポイントについて、1に特化して考えてみましょう。
(1)O/Oの超越
個人向けサービスとして、スマホで教科学習を行うというのは一定の認知がされていますし、実際に効果的な勉強方法として利用されています。自分の理解度に応じて、早送りしたり、再度動画再生したりできるというメリットがあり、中高生の中での浸透は結構あります。
ただ一方では、特に初等中等教育では、「コンテンツを提供する側」のオンライン対応が進んでいません。従来、教材といえば「紙」であり、それが永らく支配的でした。英語の教科書と、数学の教科書は別で、ノートは別…そういった物理的に独立している教材は、今や、タブレットで一元化されていきます。ただし、それでも教育上の「壁」となっていたのが、このO/Oの壁です。
教材はあくまでもリアルとは切り離されたものでした。どういうことかと言うと、例えば体育で「野球」のことが書かれている教材があったとして、その教材と、「プレイする」というリアルは一旦切り離されていた、ということです。プレイをしながら教材を見る、なんてことはありえませんでした。よく「座学」という言葉が使われますが、従来の教材を使って学習するのは「座学」の時間であって、「実践」の場・時間とは切り離されていました。(切り離されていたからこそ、知恵・知識が歴史的に遺産として残されてきたという価値はある。)
たとえばビジネスの世界で言われるOJT(On the Job Training)では、リアルな業務を遂行することで、経験値が向上することが期待されているのですが、この場合にはうまく「座学」との連携をつくることができませんでした。まさに、O/Oは、On the Job Training/OFF the Job Trainingともなっていたわけです。
しかし、終身雇用よりも、即戦力が求められ、人材育成もスピード化が求められたり、安全でミスのない業務遂行が以前よりも強く求められる中で、リアルな業務中に知識を検索し、活用できることが求められています。
その時に、O/Oが超克されると、事態は一変するでしょう。
座学で学ぶ内容が、リアルな業務中に閲覧できたり、アラートを示してくれたり、指示を出してくれたり。業務マニュアルを、実地配属される前に熟読するという準備期間が不要になっていくかもしれません。
?
このようなリアルな業務に基づいた学習の場合、業務マニュアルや教科書というものの「内容」ではなく「目次」と「順序」がなくなっていく可能性があります。eラーニング業界では最近「マイクロラーニング」が流行しているのも、このような流れにフィットしていきやすくなるでしょう。
外食業界では、アルバイトの育成にマイクロラーニングが利用されています。例えば、松屋フーズ様のマイクロラーニングは弊社が手掛けています。
マイクロラーニングのポイントは、
・短時間のコンテンツ
・スマホで受講可能
ということで、通勤・通学時のスキマ時間での学習が可能なところです。今どきのライフスタイルに合致していますね。
マイクロラーニングも、単純に時系列順に並んだ従来の学習動画コンテンツを「細切れ」にしただけでは面白みがありません。その時の状況や場所や目的に応じて、適切なコンテンツがピックアップされたり、出現したりする方が実際的でしょう。
例えば、理科実験。メガネ型デバイスで、フラスコを見ると、そこにAR・MRで今からの実験のプロセスと注意点が示される。
その通りに実験が終われば、一つの単元の学習が終了したという履歴が残されていく。そんな世界観です。
その体験学習をした人だけが、次のステップとしてレポート課題にチャレンジしたりして深くリフレクションを行う、というような設計にしても面白いですね。
梶谷さんが指摘している2の知覚の超越も、熟練者と初学者という軸に落として考えると、熟練者が持つ感覚や着眼点を初学者に提供するという支援もできるようになれば、生産性が向上すると思います。