教育におけるChatGPTとの付き合い方の一考察

By | 2023年5月23日
GPT

先日のEDIX東京2023は、お陰様で多くのお客様にお越しいただきました。ご来場いただいた皆様、誠にありがとうございました。特に弊社の教育テクノロジ研究所 シニアフェローの秦が登壇したブース内セミナー「ChatGPT・AIの教育活用事例」は大盛況でして、連日通路を塞ぐほどの大勢の方にお越しいただき、改めてChatGPTの関心の高さを実感しました。

ChatGPT、関心高いですよね。これまで一部のエキスパートが担っていた知的労働の領域もAIが担うようになり放逐されるんじゃないか? 大学で学生がChatGPTを使ってレポートや課題を書いて提出すると、それを見破ることはできないんじゃないか? 以前のブログ(ChatGPTをeラーニングの教材制作に使ってみたら)でも紹介したように、うまく活用すると教材制作などにそのまま使えちゃうのではないか? などなど、ChatGPTの影響の大きさに、ポジティブ・ネガティブ双方の要素が糾える縄の如く存在し、一つの切り口で語るのが難しいものだと思います。

今回は、私なりの見解から、我々教育ITの世界でChatGPTやBing AI Chat/Bardなどについて、どのように考えているか? 付き合っていこうと思っているかについて書いてみます。この領域は変化が激しく昨日の非常識は今日の常識ということも往々にしてあるので、あくまで2023年5月23日時点の一個人の見解として、参考程度に留めておいてください。
(以下、便宜上、ChatGTPと書いてある箇所のほとんどが、BingやBardなどの生成型AI全てに当てはまります。この文章を書いている2023年5月23日現在においてはChatGPTが突出して有名/人気なので、代表例としてそう記載します)

レポートの危機

特に大学関係者を震撼させているのが「学生がレポートを作成するのにChatGPTを使ったら見破れないのでは?」ということです。

これまでもインターネットの出現でレポートの存在理由の危うさが露呈されており、ググったりWikipediaで調べた内容をそのまま書くことへの対応に迫られておりました。ただ、これはある程度検出はできて、Wikipediaに書かれていることは単一で適切ではないこともあるので、記載の内容がWikipedia由来かどうかを調べることはできます。引用した場合にチェックをする剽窃チェックのシステムも存在し、弊社のLMSでも組み込んだりしております。さらにレポートの課題の内容そのものがネット上に載っているわけではなく学生がWikipediaで調べた内容を踏まえて自分で考えてリライトをする作業が必要になり、それはそれで学びにはなっているというのもありました。そういうわけで、これまで学校さんは、インフォーマルに「あまり使うんじゃないよ」と伝えつつも、なんとなく許容していたような感じがします。

ただChatGPTの登場によって景色がガラッと変わりました。レポートで問われている内容を適切にChatGPTに入力してあげると、その内容に適切な文章を作成してくれます。しかもそれは固定化されたものではなく、毎回フレッシュに生成され内容が毎回異なるのです。文章がChatGPTで作成されたものかを判定するClassifierというツールは存在するのですが、これを見破るのは難しく、ツールを使っても万能ではないようです。

レポートで問われている内容を埋めるために従来のズルの方法、元データをネットで調べて学生がそれらを組み合わせてレポート作成するという段階から、さらに進んで、適切にChatGPTに指示することで完成されたレポートそのものを自動的に得ることができるようになりました。学生は作業としてChatGPTのプロンプトエンジニアリングを行えばレポートが得られるので、教育内容を全く学ばなくとも、それなりの完成度のレポートを提出することができるのです。これは大学関係者からは驚異的に映り、それぞれの学校さんでChatGPTへの対応を進めており、学生の利用に関して各学校さんからさまざまな方針が示されています。また文部科学省でも、学校向け取扱い指針を作成するという方向で動いているようです。

教材作りの生産性向上

ChatGPTが主に産業界に大きなインパクトを与えているのは、従来は人間が行っていたような業務をChatGPTが高度に行うことができるということでしょう。長年の経験を積まないと行われないような業務や、人海戦術を必要とした多くの人が多くの時間を割いて行う作業の積み重ね・・・ そういうものをChatGPTが大部分を瞬時に行うことができれば、それは強力なツールになりえます。

以前のブログ(ChatGPTをeラーニングの教材制作に使ってみたら)では、受講者のポートフォリオやゴール設定から適切なコースを設計したり、そのコースのカリキュラムや中身のコンテンツをもChatGPT3.5で作ってみた例を挙げておりますが、最終的に受講者に提供するにはベテランの人間による調整や校正は必要だとしても、このような教材開発の工数をぐんと削減し、一定の質の教材を作成できる可能性を感じました。

他にも弊社でも活用が始まってますが、教材のテキストから穴埋め問題をChatGPTで自動生成する機能を開発し、前回のEDIXでも参考出展させていただきました。穴埋め問題は重要語句・覚えなければならない単語をマスキングし、学習者はそのマスクされた単語を答えるというものです。従来、このような教材を開発しようとすると、教材制作者が文章を読んで、重要そうな単語をピックアップし、そこをマスクした教材を一つ一つ作っていくという地道な作業が必要でした。これをChatGPTを用いると、あっという間に重要語句をマスクして教材を作ってくれます。

EDIXで参考出展した他の機能にChatGPTを活用したスラッシュリーディング教材の自動生成があります。スラッシュリーディングは弊社では「すらたん」というサービスでも取り入れてますが、英語の長文をより速く正確に読むためのトレーニングで、英語を英語のまま、その順番通りに読み込むための仕組みです。英語の文章を意味のまとまりでまとめて、その区切りめにスラッシュ「/」をつけた教材を用意してトレーニングを行います。例えば

Four score and seven years ago our fathers brought forth on this continent, a new nation, conceived in Liberty, and dedicated to the proposition that all men are created equal.

Gettysburg Address -Abraham Lincoln 1863-

という文章、これはリンカーンのゲティスバーグの演説ですが、これを理解しやすくスラッシュリーディングの教材にすると

Four score and seven years ago / our fathers brought forth / on this continent, / a new nation, / conceived in Liberty, / and dedicated to the proposition / that all men are created equal.

スラッシュリーディングにしたもの Gettysburg Address -Abraham Lincoln 1863-

こんな感じになります。意味のまとまりごとにまとめ、赤のスラッシュ / を追加しました。スラッシュが長文を読む上でのガイドとなり、読みやすくなるし、このまとまりで意味を理解する読み方をマスターするとスラッシュがなくてもこのようなまとまりで英文を捉えることができ長文を読めるようになることでしょう。このような教材を用意するとなると、従来は人が一つ一つの文章を読み込んでせっせとスラッシュを入れる作業をしなければなりませんでした。この作業もChatGPTで学習させて実行すると、あっという間にスラッシュリーディングの教材を作成することができます。

他にも翻訳もAIは得意です。日本語で作られた教材を他言語対応させるのは、それほど難しいことではありません。

以上のように、教材の設計や開発、そして本来は人間、それも高度な知識と経験を持った人、が行うような作業もChatGPTが代替して行うことができるのです。これを使わない手はないと思います。

よりインテリジェントな教材のベース技術として

ここ数年、eラーニングやEdTech業界は、一つの技術の高まりとしてアダプティブと呼ばれる個別最適化された学習を模索していました。教材が一律的に与えられ教材を全員が同じ順番、同じ内容で学習するのではなく、受講者の成績や理解度などからその人に最適化されたコースを提示する技術で、落ちこぼれ、吹きこぼれ、両方をしっかりと支えることができます。

アダプティブ学習の例(「デジタル・ナレッジの教育×AI早わかりブック」より)

このアダプティブの実現には学習履歴の蓄積と分析する技術やAIテクノロジーが必要になり、近年、弊社を含め、さまざまなeラーニング/EdTech企業が対応を進めています。あらかじめ用意された教材(問題や解説といったコンテンツ集合体)のそれぞれのコンテンツのカテゴリや難易度を整理した上で、統計解析やAIにより受講者が学ぶべき内容をマッチさせるという技術です。あらかじめ用意された静的な教材を動的に組み合わせて最適なコースを作成する。例えるなら、おすすめの本を提示するのに、その人の嗜好を踏まえて、数多くの本から1冊選んでおすすめしたり、あるいは短編小説を集めてきて、その人が好みそうなものをセレクトしてその人むけの本を編纂して印刷して渡すようなものです。

ChatGPTは、この従来の組み合わせによる最適化ではなく、ゼロから最適化された内容を作り上げてしまうところに凄さを感じます。

弊社では日本語発話トレーニングツール:トレパJで、会話シナリオをその場に合わせてChatGPTが自動生成する機能を開発しました。決められた定型文で会話するだけではなく、学習者の発言から自然な受け答えがChatGPTによりなされ、学習者は臨機応変な対応が求められ実践に即した会話の学習を行うことができます。

他社の例ではAtama+さんはβ版として「物語文で単語学習機能」という機能をリリースしており、英語の学習で習熟度が低い英単語をわざと多用した文章を生成するそうです。その受講者が苦手な単語を文脈などで理解し覚えやすいような工夫として使われております。

これらはいずれも決められた教材があるのではなく、元情報を土台に独自に最適な教材をその都度生成しています。先ほどの最適な本をおすすめすることに例えると、その人の嗜好を聞いて、読みたい本をゼロからChatGPTが書き上げるようなものです。既存のパーツを組み合わせて最適解を得るのではなく、すべてオールオーダーメイドでピッタリ合った答えを出す、そういう凄さがあります。

我々は何のために教育を行い、そしてなぜ学ぶのか?

昨今ChatGPTをはじめとするAIテクノロジーが進化し、さまざまな驚きの機能がもたらす将来への可能性が示されるにつれ、我々は驚愕し技術の進化をプリミティブに賞賛するだけでなく、そこには何か従来の技術の進歩では味わうことのなかった感覚を禁じえなくなりました。我々人類は地球上で最も知的に優れた知的生命体であり(さまざまな観点はあるにせよ)この星の征服者として君臨してきました。そんな我々人類のレーゾンデートルをもChatGPTは揺さぶっています。AIが人類の能力を凌駕し、加速度的に進化するシンギュラリティが訪れると、映画の世界ではブレードランナー攻殻機動隊マトリックスマイノリティ・リポートなどで、なかなかのディストピア的な世界が描かれていますが、そこまではいかないにせよ、今では考えられない新たな秩序に基づいた社会が訪れるのではないだろうか?? 開発を自制しコントロールする必要があるのではないか? そう危惧する声も大きいです。

ただ、この開発は止まらないし、一度開いたパンドラの箱の蓋をそう易々と閉じることもできません。

そこまでディストピア的世界を想像するのではなく、現実的に今見える地点からChatGPTをはじめとするAI技術とどう折り合いをつけるか、仕事を奪われずにAIと共存するにはどうすればいいか、これらに対応することは、今を生きる我々としては大事になってきます。

インターネットが普及期に差し掛かった頃から、ググったりWikipediaで調べたりすることが日常的になった中で、人間が知識を学び習得することの意義が薄らいでいると主張する方が増えたように感じています。ある政治家が「三角関数なんて必要ない!」と発言したりと、いやはや知識が地に落ちたなぁと思ったりもします。

また、最近では翻訳ツールや自動翻訳機がかなりの精度で翻訳してくれます。そうすると外国語で書かれた資料を読んだり、海外の方と話をするのに、自分の力で学習して対応するのではなく、こういうツールを活用することで対応できるので、外国語を学習する必要性が希薄化しています。

さらにChatGPTが登場すると、問いかけるだけでChatGPTがさまざまな課題を解決するように思え、ますます人は知識を身につけ、学ぶことへの姿勢が萎えるんだろうなと想像します。

でも、だからこそ、我々は学ばねばならないのです。AIが行えるような業務は任せればいいのですが、ただそれが本当に正しいのか、正しく伝わるのか、正しく機能するのか、倫理的に正しいのか、さまざまな観点で評価するべきなのです。

先ほどAIが行う業務で日本語のコンテンツを他言語に翻訳するという例を挙げました。例えば、教材としてこんな算数の問題があるとします。

マコトくんはお使いで500円持って魚屋さんに行き、アジを3尾、シャケの切り身を2切れ買いました。アジは1尾60円でシャケは1切れ120円です。お釣りはいくらになるでしょう?

算数の問題の例

じゃあこれを、弊社が事業を展開する中央アジアの国、ウズベキスタンの教材にしようとウズベク語に翻訳したとします。

Makoto 500 iyen bilan baliq sotuvchining oldiga borib, 3 bo’lak ot skumbriyasi va 2 bo’lak qizil ikra sotib oldi. Ot skumbriyasi har bir baliq uchun 60 iyen, qizil ikra esa 120 iyen. O’zgarish qancha bo’ladi?

ウズベキスタンに展開しようとしてウズベク語に翻訳した例(Google翻訳利用)

ちょっとウズベク語だと分からないので英語にしてみます。

Makoto went to the fishmonger with 500 yen on errands and bought 3 pieces of horse mackerel and 2 slices of salmon. Horse mackerel is 60 yen per fish and salmon is 120 yen per piece. How much will the change be?
本来はウズベク語ですがわかりやすく英語に翻訳した例(Google翻訳利用)

これはGoogle翻訳で翻訳しました。(ウズベク語はわからないので英訳の方を見てみると)うまいこと翻訳してくれましたね。じゃあこれをそのまま教材として展開すればいいか? というと、そんなことはありません。ウズベキスタンは二重内陸国です。海に行くには国を二つ越えなければなりません。もちろん海の魚を売る店は存在せず、子供が買い物で魚屋さんに魚を買いに行くのはありえない話です。なので、魚屋じゃなくてウズベキスタンでより一般的なもの、例えば肉屋にするべきだと思いますし、yenという単位もわからないので、適切な通貨スムに置き換えるべきでしょう。そもそも「お使い」の文化がない文化圏だと、前提そのものを作り変える必要もあるでしょう。

トランスレーションじゃなくてローカライズ・・・ 教材を現地化するには単に言語をそのまま翻訳するのではなく文化的背景やその国の子供達に伝わりやすいのかも踏まえての配慮が必要です。これはAIやChatGPTではまだ不得意な領域、人間がチェックして最適化することが必要です。これができるようになるには、ウズベキスタンの正しい知識、元の文章の読解力、変更を展開する論理的能力、文章力、そういうものが必要になってきます。これらを正しく知識・スキルとして身につけるには我々が学ばねばなりません。

これは一例に過ぎませんが、AI時代において我々がやらなければならないこと、AIを使って計画を立てるとしても最後に決定を下すのは人間であり、そうして決定したことをAIがその80%まで作り込むとして、最後の調整・やすりがけは、人間が行わなければならないのです。今は80%なのかもしれませんが、AIテクノロジーも進化するので81%…85%…90%…92%と段々とその正確性を増してくることでしょう。とはいえ最後のピースは当分残されると思います。その最後のピース、AIを凌駕した業務、計画の決定、最終確認は人間が行う必要があります。

2000年代にアメリカで提唱された教育モデルにSTEAMがあります。Science(科学) + Technology(技術) + Engineering(工学) + Mathematics(数学)の頭文字をとったSTEMにさらにArt(芸術)のAを足してSTEAMとされたモデルです。発展著しいITに対応する人材を育成しイノベーションを起こそうという21世期型の教育モデルで、日本でも先進的な教育として導入が進んでいます。ただこれすらも原案のままだとChatGPTのインパクトの前に色褪せてしまい、ややバージョンアップを余儀なくされることになると想像します。

11世紀ごろに起きたスコラ学はその後何世紀にも渡って西洋の学びのあり方を支え、今も「スクール」の直接的な語源として残っていますが、当時のスコラ学は神学・哲学を中心に展開されました。当時の知性と思索、人間性も支えたのでしょう。同時にガリレオ・ガリレイなどの新しい動きに異を唱えたのでもありますが、当時の影響力は大きかったと思います。

まだ現在でも博士号は(まあ色々あるんですが)Ph.D.という敬称がつきます。これはラテン語のPhilosophiae Doctor、英語で言うとDoctor of Philosophyとなります。直訳すると哲学博士ですが、Ph.D.は哲学だけでなく自然科学含め多くの学問分野の博士号の敬称となっています。このPhilosophyは現在でいう哲学よりも元は幅広い意味で、哲学とは元々原理や真理を追求する学問全般を意味しました。なのでPh.D.になるのです。すべての学問は哲学から派生し独立したのですが、その大本の哲学がこうして敬称に残っているのは興味深いです。

時代は先へ先へと進む一方、学びの根源、人を人たらしめているものは知識や教養や思考力や倫理観であり、それはAIを凌駕し、この21世紀においても厳然と輝いているように思えます。

冒頭のレポートの危機の話、学校さんは学生さんたちに無闇に使わないように指導するのが全般的な流れなのかなぁと感じていますし、もっと厳粛な対応を行うところもあります。ただ、いずれの場合でもパンドラの箱が開き、世に解き放たれたChatGPTは社会に出ると使わざるをえないでしょうし、実際の社会では共存することを迫られるでしょう。社会人は大いに活用しましょう。

だからと言って学校の授業でChatGPTを全てにおいて使っていいですよ、と推奨しようとは思いません。かといって全てを規制するのも無理があります。ある程度の規制は必要ですし、どのようにChatGPTなどのAIと付き合っていくのかのリテラシを教え、それらを活用することを前提の教育を(全部ではないにせよ)行うのが良いのではと思います。これらの技術を有益に使いこなすため、AIではなしえない最後のピースを埋めるためにも、人間として必要な力を涵養するべく教育の必要性が厳然として存在することをお互いに理解するということが重要だと考えます。

例えば私は新卒の社員を迎え入れる時によく言うのですが、社会人はカンニングOK、むしろカンニングは推奨されますよね。学生の頃はテストに解答するのに他の人に訊いたりググったりするのは御法度でしたが、社会ではそういうのはむしろ奨励されて、自分ひとりの頭で考えるんじゃなくて多くの人の意見を求めたり、文献にあたるのは大事です。過程ではなく結果が求められるし、その結果が得られるのであれば、エシカルに許容されることであればどんどん実行しなさいというのが社会の原則です。ChatGPTなどのAIテクノロジーはどのみち社会に出ると触れると思うのです。こういうAIをいかに使いこなすかで業務の生産性、クオンティティだけでなくクオリティも、高まることでしょう。学生の頃はそのための下地づくり、使いこなす素養を身につけるべきだと思います。中途半端な入力で得られた的外れなChatGPTの回答を無批判に扱ってもいいことは何もありません。

そうそう、先ほどの魚屋さんのお使いの問題の私の答えは、お釣りは100円です。え?80円じゃないの?と思われるでしょうが、どうしてかというと、この魚屋さんのご主人はサービス精神旺盛で、お会計の端数は切り捨ててお釣りくれるから。しかもマコトくんの家族構成(パパとママとマコトくんの3人)というのもご主人は知っているので、「おいおい、坊っちゃんも朝食に焼き鮭食べてみなよ、このシャケ美味しいからさ、骨のないところを選んでおくから、これをお母さんに焼いてもらいな」とか言って、シャケをもう1切れサービスしてくれるかもしれないじゃないですか。

まあ、これは冗談だとしても、実社会ではそういうことも自然に行われており、何事も杓子定規に進むわけではないこともあります。そういう機微をも配慮してさまざまな工夫や知恵を巡らせて我々の生活は成り立っています。そういうことに気づき、対応することもまた、我々人間の活動であって、そういうことをできるように、いつの時代でも、どんな状況でも、なっておかなければならないと思えば、多くの哲学、教育、学びがまだまだ人類には必要だと思えてくるのです。

ちなみに、パンドラの箱の話の結末をお話しすると、ギリシャ神話では神ゼウスより遣わされたパンドーラは全ての悪と災いを収めた箱を持たされたが、地上に着くとその箱を開けてしまい、災いが解き放たれてしまったことに慌てて箱を閉じると、箱の中には「希望」が残ったそうです。

おまけ

なんだか最近は私の演奏を載せるのが通例になってますが・・・ 先月誕生日でして、50歳になりました。50歳というとなかなかの年だなぁ、もう折り返し地点は過ぎただろうなぁと、後期中年の入り口を迎えました。

誕生日に”Old Folks”という曲を吹きました。直訳すると「年寄りたち」という意味で、この曲ではアメリカの南北戦争を経験した年寄りを指します。歌詞には上でも触れたゲティスバーグの演説も登場し、当時を懐かしむ頑固なおじいちゃんの様子や、彼らがやがて居なくなることへの哀しさを歌った歌です。ゲティスバーグの演説は1863年で、この曲が作られたのは1938年なので、当時は南北戦争を経験した人がまだご健在だったのでしょう。いかにも50歳、実年を迎えるのにふさわしい曲といえます。

Old Folks

参考情報

タグ:

About 吉田 自由児

ヒゲこと、株式会社デジタル・ナレッジ 代表取締役COOの吉田がお届けします。 弊社関連の情報だけでなく、eラーニング周辺の話題についても触れます。